2000年10月14日 小樽港に寄港した空母「キティホーク」を見学した3 ― 2019年07月23日 05時36分
続き~
●空母キティホークのエレベーター開口部構造
何となく撮ったと思われるエレベーター開口部からみたエレベーターの底面。
まさかこの十数年後、自衛隊も、実質ヘリ空母で再度エレベーターを持つ「いずも」型護衛艦を持つことになるとは、この時は想像だにしなかったですね。
●VF-154のF-14A
VF-154所属のF-14Aです。この当時はわかりませんでしたが、TF30エンジンであること、VF-154はF-14B/D型は装備しなかったため、A型のトムキャットとわかります。
トムキャットも米空母から消えて久しいですね。
垂直尾翼の騎士は、VF-154の部隊マークで、通称Black Knights。今ではロービジ化によって、このような派手な塗装は見なくなりました。
ちなみに、この撮影後の3年後、2003年にはVF-154はF/A-18Fに機種転換し、名称もVFA-154となっています。
F-14は大きな機体ですね。
これを狭い空母で取り回すのは中々大変そう。トムキャットが早期に退役してしまったのも、後退可変翼機のメンテナンス性やマルチロール化しづらい(後退可変翼故にパイロンを用意に増やせない)というのも一因にあったと言われていますが、後継のF/A-18E/Fスーパーホーネットのほうが機体がひと回り小さく取り回しが良いというのもあったのかと想像します。
ところでトムキャットと言えば、映画「トップガン」(1986年)は今でも若き日のトム・クルーズの代表作として有名ですが、ついにその続編作となる「トップガン・マーヴェリック」が公開されることになりました!
とても楽しみ!
●VFA-195のF/A-18C(手前左)
トムキャットに比べるとコンパクトなホーネット。すでにこの当時、主力はF/A-18C/Dに移行しつつありました。
こうしてみると、ホーネットや、少し大型化した現代のスーパーホーネットは、艦載機としては安定して完成された機体なのかもしれませんね。
エレベータ開口部が入出場口になっていました。
遠くに見える建物は、90年代に鳴り物入りでデビューした、マイカル小樽。マイカルサティとビブレが入っていました。
ご存知の通り、マイカルグループはこの次の年の2001年には経営破綻し、現在のイオングループに吸収されてしまいました。
現在は、ウイングベイ小樽として現存しますが、何度か経営破綻し、あまりうまく行ってない様子…。
この当時はまだ活気があったのですけどね。
●キティホークの飛行甲板
飛行甲板に上がりました。
すでに米空母からは全て退役してしまった機体たちです。
一番左は、電子戦機のEA-6Bプラウラーで、海軍では2015年までに、後継のF/A-18FベースのEA-18Gグラウラーに機種変更されています。
お隣のS-3Bヴァイキングは対潜哨戒機でしたが、冷戦後の対ソ連潜水艦監視任務が陸上機のP-3Cに移管されたため、この時点では空中給油や対艦対地攻撃機として使用されていたようです。
これもF/A-18E/Fに取って代られており、ライノって何でもできるんだな~と思います。そりゃF-35Cの導入が決まっても、ライノが同時調達される所以です。
所狭しと機体が並んでいて、世界最大級の米空母と言えど、決して余裕があるわけではない、と言うのがこの時のYamaroの感想でした。
飛行機からしたら、猫の額のような場所に着艦するわけです。
写真はEA-6Bプラウラーの正面。
乗員4人で、乗員レイアウトは車のような感じです。空中給油プローブが、正面から見て左側にオフセットしているのは、パイロットが空中給油時に、プローブと一直線上に機体を調整しやすくするため。
ちなみに、残り3人の乗員が電子戦士官となり、前関左側が通信妨害、後席2名が電子妨害、対レーダー攻撃を担当します。
続く…
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