10年後の今はどうなっているのだろうか2019年07月03日 06時32分


田老鉱山。もう10年前の撮影です。

https://yamaro.info/photos/ruins/taroukouzan/part1/tarouk1.html

上の写真は、HP掲載のものとは少しアングルを変えている、未掲載分です。

この当時の廃墟撮影スタイルは、Nikon D300にTokina AT-X 124PRO DX (12-24mm F4)というのが定番でした。

これがなかなか相性がよく、このレンズもまた色乗りがよく、愛用していました。
フルサイズ機のD800入手時に手放してしまいましたが。

改めてRAW現像してみましたが、当時よりソフトも進化していますし、ピクチャーコントロールも最新、ノイズリダクションも進化しています。
まだあまり良くなかったAWBも、RAWなら救済できます。

現代のこの場所、どうなっているのでしょうか?
もう行くことはないでしょうが、気になりますね。

霞ヶ浦分院横の機罐場跡 2011年1月2018年11月18日 07時16分

2011年1月に撮影した、東京医科歯科大学霞ヶ浦分院横にある機罐場跡。
当時、AF-S 70-200mm f/2.8G ED VRIIを買ったその足で訪れました。

あれから7年、周辺の状況は大きく変わったのは、前日のブログの通り。
今では厳重に管理されていますし、建物の崩壊も進んでいます。写真で残すというのは、その当時を知る上で重要ですね。

当時は忙しかったのか、撮影舌写真はごく一部をブログで紹介したのみで、HPにも未掲載でした。
せっかくなので、7年越しでRAW現像し直したものを掲載していくとします。
当時よりRAW現像ソフトも進化しているかな?

機罐場の電柱

この木製の古びた電柱は、今はもうありません。

機罐場

前日のブログでは崩壊が進んでいる…と書きましたが、2011年の時点で、既に壁や屋根は一部喪失していますね。

機罐場と煙突

印象的な煙突。窓ガラスが古い建物らしさを醸し出しています。
ちなみにYamaroが子供の頃通っていた小学校も、戦前の建造で、こんな感じの窓がついていました。

大半が割れた窓ガラス

ガラスも風化します。ほとんどのガラスが割れていました。
外壁のトタンも錆びついています。

機罐場の内部

入りました。内側から見ると、ほぼ外が素通しで丸見えです。

ブラウン管テレビ

ここがいつ頃まで現役で使用されたかは不明ですが、このテレビは70年代から80年代のものと思われます。
手前のテレビは、韓国のGoldstar、現在ではLGとなっていて、その前身です。
この時代、まさかLGが世界を席巻するとは思ってもいなかったわけで、日本の家電にとっては、時代の変化は残酷です。
このテレビが、現役時代のものなのか、後に不法投棄されたかはわかりません。

機罐場のガラクタたち

機罐場だけに、ボイラーがあって、その蒸気が何らかの作業に使われていたとは思いますが、ここに打ち捨てられたものがが何なのか、今となってはわかりません。

SANWA Pocket MINI

これは比較的新しい、SANWAのデジタルマルチメーターPocket MINI。これは80年代から90年代の製品ですね。
実はこれのソーラータイプは私も持っていて、それも90年代に親父からもらったものが未だ現役。
ちなみにこの商品、若干のデザイン変更で現在も販売されているロングセラー商品です。

機罐場のボイラー

機罐場のボイラー

機罐場ボイラーのバルブ

機罐場のボイラー。圧巻です。このサビ具合といい、取り囲むレンガといい、確かに戦前に作られたであろう施設であることがわかります。
これはぜひ遺産として残すべきものでしょう。

機罐場

機罐場

2011年でこの状況です。風雨に晒されているだけに、現在の内部状況が知りたいところですが、叶わないですね。
しかし、この年の3月に発生した東日本大震災にも、建物自体は耐えたことになりますので、古くてもしっかりした建物は、昔から耐震性能はそれなりにあったのでしょうね。

機罐場の煙突

ぽっかり空いた屋根から煙突が見えました。

機罐場の夕暮れ

この当時は、D300にTokina AT-X 124PRO DXで撮るのが定番でした。解像度もよく、なかなか色乗りの良い良いレンズでしたが、今は後輩に売却。また持っているかな?

もう1つの建物

もう1つの建物は更に崩壊が進んでいました。こちらは時間切れで散策せず。

機罐場の夕暮れ

日が沈んでいきます。この古い電柱は、今はもうないようです。

霞ヶ浦分院前は道路工事中でした

霞ヶ浦分院の目の前を通るこの道路は、この当時建造中でした。
完成後の道路は、前日のブログの一番上の写真のとおりです。


2011年の写真如何だったでしょうか?
10年以上前のD300、なかなか良い仕事をしてくれました。RAWなら最新ソフトで当時以上の画質で出力できます。

やっぱり広角レンズが欲しい2013年11月07日 23時44分

岩洞湖2009
データ:Nikon D300 + Tokina AT-X 124 PRO DX Aモード(f/11 1/320) 400mm RAW現像


またジワジワと広角レンズが欲しくなってきている。

http://yamaro.asablo.jp/blog/2012/05/15/6447119

↑そう、1年半前にも悩んでたっけ。
結局、あの記事を書いた後に、AF Nikkor 24mm f/2.8Dは売却、Tokinaの28-70mm f/2.8も同時に売ったお金をもとに、AF-S 24-70mm f/2.8G EDを購入し、広角はAF Nikkor 20mm f/2.8Dという古いレンズを導入。

D800に古いAF Nikkor 20mmは意外と良い組み合わせだけど、もう少し広角がほしい。
そうなると、単焦点では高価なので、広角ズームがほしいんですよね。


などと、古い写真を引っ張りだしてみた。
2009年4月、東北廃墟撮影ツアーの帰りに、岩手は岩洞湖で撮影した一コマ。
この当時は、D300にTokina AT-X 124 PRO DXがお気に入りの組み合わせでした。
色乗りもよく、解像感も良いこのレンズ、メイン機をフルサイズのD800に譲ってからは、出番が激減、ただ今D7000を買った後輩に貸出中ですが、貸っぱなしになりそうな予感。

D800に組み合わせるべきは、値段を考えるとAF-S 16-35mm f/4G ED VRIIが最善かなと。

D800で動画撮影する際に、広角~標準域でVRのついたレンズが無いため、AF-S 16-35mmがあると便利かな。

目下、値段の推移を見守り中です。

静岡廃墟撮影ツアー初日2012年05月01日 22時06分

久々のGW廃墟ツアー。
例によってなべ氏のほか、初参加の後輩サク氏も同行。

東北方面への撮影が多いですが、今年は趣向を変えて西側、静岡方面を選択してみました。
よって、車も東京からはなべ氏に出してもらい、助手席へ。

今回はなべ氏のBMWで移動

開通したばかりの新東名を爆走中。

新東名はスイスイ走れた

助手席だから撮れる写真

都内は渋滞したものの、横浜を過ぎて新東名に入る頃にはスイスイでした。
道も広く、思ったより交通量もなく、かなり快適な道路ですね。
これは遠いと思えた浜松方面も、結構時間短縮になりそうです。

そんなこんなで、予定より早く目的地へ到着。
高速道路を降りてさらに1時間ほど山へ走ったところに目的地はあったはず…なのだが。

鉱山関連の構造物か?

事前に調べていおいた地図の地点と物件が一致しない。
どうやら情報が違っていたようです。
林道をグルグル回った後、一度麓へ戻る。写真のように、川に鉱山関連の残留物が残り、地図上ではこの延長線上にあるはずなのだが…。

最終的には、町の案内図にヒントが隠されていました。いや、助かりました。

というわけで、やっとたどり着いたのが、昨日のブログの写真の物件。


某鉱山住宅廃墟

有名物件ではありますが、以前から気になっていた物件。
ここは某鉱山の鉱員アパート跡で、尾去沢鉱山住宅とは比較にならないくらい小さいですが、廃墟歴など好みにあった場所なんですよね。

ところで、ここは渓谷の斜面に建っている関係上、写真は見上げる形になっています。
つまり上に行かなきゃならんのですが、底までのアプローチ道路に門と柵が張り巡らされていました!
これは情報にはなかった。最近出来たようです。散策者が入れないようにしているのか。

サク氏のスマホで地図を確認しつつ(GPSとンマップで現在地がわかるのですから、つくづく時代ですね)、進入路を探したのですが、柵がかなり広範囲に張り巡らされ、柵がないところは草木と笹薮が深く、ほとんどサバイバルの形相を呈して、侵入はかなりの困難を極めました。

森の中に残留物発見

森に入って経路を調査。
早速人工物を発見。

トイレでした

トイレでした。
周辺は朝顔便器も転がっていて、時代を感じさせます。
それにしても、柵は広く張られていて、侵入は困難。

こちらも鉱山関連の何か

こちらも鉱山関係の何かでしょうか。展望台みたいにも見えますが、同じ物がいくつか点在していました。

残念ながら、このあとも1時間以上あちこち経路を探すも、ついに進入不可で諦める、という結論に達しました。
廃墟散策ではよくあることですが、大移動してかなり散策した挙句、この結果は悔いが残ります。
が、仕方がないですね。勇退ということに。

このあと、更に上流の物件をチラッと拝んで、ホテルに1泊。
温泉に浸かり、酒を飲みつつ、2日目をどうするか作戦会議となりました。

つづく…

霧降高原からの眺め2011年11月05日 22時23分

霧降高原からの眺め
データ:Nikon D300 + Tokina AT-X 124 PRO DX Aモード(f13 1/250) 13mm RAW現像


先日行った霧降高原から。
久々に使ったTokina AT-X 124PRO DXはやっぱり気持ちよく撮れる広角レンズですね。もう少しコンパクトなら…

あ、フィルム現像出してたの、取りに行かなきゃな。
明日のFポン帰りに取りに行くかー。


ってなわけで、明日はタダで見れるので、もてぎでFニッポン観戦してきます。
しかしFポンの選手ってわからないなぁ。

二居変電所(2)2011年05月08日 15時17分

前回の続きです。ちょっと写真が多いですが。

二居変電所全景

このように、国道沿いのカーブの終わりに建っている二居変電所。
よくみると、2階部分に入り口があるのが確認できます。
建物そばからは雪と木の枝が邪魔で上がれないので、ちょっと遠回りしてアクセスいます。

こちらが入り口

入り口まで来ました。
このアングルからだと印象が違いますね。
実は現在通っている国道とは別に、写真左奥には廃道となった道が存在します。
昔はその廃道からこの建物にアクセスしていたようです。


いよいよ突入します

ここから入ります。
扉は既に存在しません。


扉らガラスは喪失

内部はがらんとしています。窓ガラスもほぼ喪失。
こういう雰囲気がたまらないんですよね。


便器も無いトイレ

入ってすぐの小部屋はトイレだったようです。
しかし扉はおろか、便器すらなくなっています。便器のあったであろう穴を覗いてみたけど、何もなかったです。


枠のみの窓

冬は雪に押しつぶされるのでしょうね。ガラスのない窓枠は内側に押されています。


トマソンの入り口(というか出口?)

その向こうにはトマソンと化した入口(出口?)が。


3階ぐらいの高さか

ちょっとヒヤヒヤする撮影。普通の2階よりも高そうです。
昔は通路があったのでしょうね。


1969年の落書き

落書きが多いですが、字がかすれているのが多い。
よくみると、1969年の記述、別の場所にも昭和41年○月○日○○参上、なんてのもあり、昭和40年代前半には既に廃墟化していたことがわかります。
この当時のDQNも、今や還暦ですね。
逆に最近の落書きは見かけませんでした。旧道が廃道となり、ここにアクセスしづらくなったのでしょう。


高い場所の窓がとにかく多い

2階以上は大きめの採光窓がたくさんあります。もう二度と手が届かない場所に。


華奢な形状の鍵

変質した窓ガラスのゴムと錆びついた華奢な鍵。


唯一の変電所設備の名残

2階入口入ってすぐにあるこの構造物が、唯一残る変電所設備の跡です。
ガイシが並んでいます。


3階?への階段

それでは3階へ。なかなかキテいる階段を上がる。


踊り場から2階を望む

踊り場から望む。こうしてみると、建物自体はかなり狭いんですね。


廃墟の階段はいろいろな意味でドキドキする

古いとは言え、コンクリ製なのでまだしっかりした階段を上る。


何も無い3階

3階。ここもただの空間となっていて、残留物はなかった。


昔の落書きが残るのみ

ここが何の部屋だったのか、窺い知れるものは何もなく、ただ昭和40年代の古い落書きが残るのみ。


3階から望む吹き抜け

吹き抜けを望む。さすがに怖いので、腕を伸ばしてノーファインダーで撮影。ライブビュー機能はこういうとき役立つ。


窓が印象の廃墟でした

モノらしいモノが残っていないが、窓が妙に印象に残る廃墟でした。

BRONICA S2での写真はまた後ほど。


Camera:Nikon D300
Lens:Tokina AT-X 124 PRO DX, AiAF Nikkor 35mm f/2D, Carl Zeiss Planar T* 1.4/50 ZF.2

二居発電所(1)2011年05月06日 23時39分

恒例のGW廃墟撮影ツアー。
と言っても今回は泊りがけではなく、日帰りです。
当初は秋田か静岡の某所も検討していたのですが、震災の影響による長期出張。せっかっく休みで自宅に帰ってきているのに、嫁を置いて撮影ってのもねぇ…

北関東道のおかげで、日帰りに新潟なんて芸当も可能になりました。ビバ北関東道。


さて今回は新潟は越後湯沢から少し南下したところにある「二居変電所」へ行ってみました。

二居変電所全景

他のWebサイトやブログにもありますが、この変電所の経緯は一切不明。
古い地図に変電所と書いてあったことから、変電所であることは確かなようですが、「二居変電所」が果たして正式名称なのかも不明なところです。

分かることと言えば、私の生まれる遥か前、昭和40年代には既に廃墟となっていた事。
これはあとで載せる写真からわかります。廃墟歴は実に四十数年です。

大きな開口部

まずはこの大きな開口部から入ってみます。
手前にこんな時期でもまだ雪が残っているのが、雪国らしいですな。



吹き抜けの空間

デジタルカメラでは、モノクロにしないのがポリシーだったのですが、RAW現像してみてカラーではどうもしっくりこない。廃墟系サイトでたまに見かける、彩度上げすぎの写真も好みではないので、モノクロにしてみたけど、これがしっくり来るな。

ちなみに今回BRONICA S2+フジ・ネオパンアクロスでも撮影。
現像から上がったら掲載します。


光

この空間に何が設置されていたか、今となっては謎です。変電所らしい設備は一切残っていません。

手の届かない高い場所にある窓の光のみが射している空間。

手の届かない窓

昭和前半の建物らしい、縦長の窓が特徴。
自分が子供の頃通っていた昭和一桁に建てられた小学校の窓を思い出します。


二居の文字

壁に掘られた「二居」の文字。
ここが二居変電所と呼ばれる所以です。しかし、正式名称だったかは不明です。


トマソンの開口部と光

この吹き抜けの空間には、かつて変電所設備があり、恐らくメンテナンス用の空中通路もあったはず。
今ではトマソンと化した開口部が見えます。


見上げたくなる空間

通常カラーだとこんな感じ。見上げたくなる空間。


雪に塞がれる

雪の向こうは国道です。さいわい雪が硬いので、よじ登って進入可能でした。
巨大な開口部は、設備を搬出入するためのものだったと思われます。


静かに侵食される壁


建造から半世紀以上、昭和初期建造だとすると80年以上経過しているわけで、コンクリートも少しずつひび割れ、湿気が侵食し、崩壊へとゆっくり進んでいます。
コンクリに混ぜた砂利が露出しています。


苔ドーナツ?

謎のリング上の物体は、苔に覆われていました。これ以外、本当に物らしい物が残っていません。


開放感たっぷり


では建物の2階へ…


では、建物の2階部分に移動します。ここからはいけないので、かつて入り口だった別の場所から入ります。
続きはこちらからどうぞ。

海軍鹿島航空隊基地跡から22011年01月27日 21時20分

ボイラー棟?
データ:Nikon D300 + Tokina AT-X 124PRO DX Aモード(f11 1/100) -0.3 15mm RAW現像


前回の続き。

こういう窓を見ると、自分が通ってた小学校を思い出す。
建造時期的にもほぼ同じなんでしょうね。
自分が通っていた当時でかなりボロかったから。
卒業と同時に取り壊されて鉄筋コンクリートに生まれ変わりました。

足尾銅山製錬所20112011年01月06日 17時33分

2011年最初の撮影は足尾へ。

製錬所は解体済み
Tokina AT-X 124 PRO DX

足尾銅山製錬所は既に解体済み。
去年の夏には取り壊ししてましたからね。今はすっかり整地されています。

煙突は保存らしい
AiAF NIKKOR 35mm f/2D

製錬所の象徴だった巨大煙突は解体せず保存されるそうです。

砂防ダムと太平山を望む
Carl Zeiss T* Planar 50mm f1.4 ZF2

砂防ダムの奥に見える太平山は雪景色ですね。

緑化作業中?
Carl Zeiss T* Planar 50mm f1.4 ZF2

こちらはゴンドラで何かを運んでいるようです。
鉱毒で冒された足尾の緑化作業は、何十年にも渡り続いてます。

久蔵沢
Tokina AT-X 124 PRO DX

冬なんで緑はないですが、以前にもまして緑化が進んでいるように思います。
この向こう側には廃村があるのですが、現在各所で緑化工事中のため、通行止めになってます。


今回は久々にPlanarやAF NIKKOR 35mmで撮影したけど、解像度と階調の良さが際立ってますね。
やっぱり単焦点レンズっていいな。

万座温泉から2010年08月09日 23時51分

万座温泉から
データ:Nikon D300 + Tokina AT-X 124 PRO DX Aモード(f11 1/200) 14mm +0.7 RAW現像


先日の廃鉱山巡りの途中通った万座温泉から。

栃木の那須にある殺生石みたいに、温泉の蒸気が吹き出してる場所がありました。
さすがにくさいです。硫化水素の匂い。
あ、よく硫黄の匂いって言うけど、硫黄自体は匂わないんだって。
硫化水素になるから匂うんだって。
って中学の時の理科のセンセが言ってたよ。