撮影場所って覚えていますか?2019年07月27日 07時39分

今はGPSで撮影データに撮影場所を付与できる時代になりました。
それが良いか悪いかは別として、後で振り返った時に、ああここで撮ったんだ、とわかりますし、撮った当時と現在を比べるということもできます。
特定の場所で撮ったのでなければ、後から見た時に場所がわかると、ああこのルートを通ったのだとか、こんなところに行ったんだというのもわかります。

フィルム写真だと、それができないので、撮ったあとにメモしておかないと、記憶とともに忘れてしまいます…。

苫小牧の市営アパート

2000年11月撮影。当時住んでいた北海道は苫小牧市某所の市営アパート。
自分にとっての廃墟撮影第1号…でしたが、実は廃墟ではなく現役だったという…。

いかつい鉄格子

このアパートが何時頃建造されたか知りませんが、60~70年代でしょうね。
この当時のアパート、こういうごつい鉄格子のようなものが窓枠(このアパートの場合は通路ですが)にはめられている事が多いです。
今見ると結構不気味な印象を与えます。実際不気味でしたし。

照明がついている

打ち捨てられた自転車、郵便受けはサビつき、廃墟かと思いきや、照明がついていました。
もうほとんど退去したけど、ごく一部だけ人が住んでいたのでした。

アパートの通路

分厚い鉄格子のせいで、薄暗い通路。
この後、人が入ってきまして、お互い驚きました。ヒヤッとしたものです。
まあ時効ですが、こっちが不法侵入ですし。

入居停止住宅

大半の部屋は、もう住んでいなくて、貼り紙がされていました。住宅管理課、とあるのが市営アパートらしいですね。

鉄格子のない部分から外を見る

アパートの廊下から外を眺めた様子。写っている車、最初の愛車であるホンダドマーニです。
友人からはよくおっさんカーとからかわれたけど、VTEC-Eエンジンの省燃費(パワーはなかったけど)には、貧乏学生としてはガソリン代は助かりました。この当時はリッター90円くらい、今の軽油より安かった時代です。

冒頭、撮影場所の話をしましたが、この写真の撮影場所、当然当時のおぼろげな記憶では正確な場所はわかりませんでしたが、上の写真がヒントになりました。
奥に写っているガレージです。ここらへんかなぁという目星をつけて、Googleストリートビューで探すと…

ガレージの現在

ありました。
周辺の住宅は多くが建て替えられていますし、このマンションの後には、現在別の建物が建っています。


この写真は、HPに掲載した最初の廃墟写真です。
改めてスキャンし直してみました。モノクロフィルムなので、変色とは無縁なのが良いですね。
HPも何れ、書き直したいと思います。なにせ20年近く前の学生の時に書いたものですし。

2000年10月14日 小樽港に寄港した空母「キティホーク」を見学した52019年07月25日 06時59分

●空母キティホーク周辺を警戒中の海上保安庁
警戒中?の海上保安庁のボート

何だかのんびりな雰囲気だった、空母キティホーク周辺を警戒中の、海上保安庁のボート。
よく見ると、PL101-M2とあり、PL101は巡視船「しれとこ」ですから、それに搭載されている複合型高速艇のようですね。


●AN/AAQ-25 LANTIRNポッド
AN/AAQ-25 LANTIRNポッド

F-14Aに搭載されていたAN/AAQ-25 LANTIRNポッド。YAGレーザーを使用した、レーザー誘導爆弾の照準用ポッドです。
当初は要撃戦闘機として開発されたF-14トムキャットでしたが、末期にはLANTIRNポッドを搭載して爆撃にも使用されました。
レガシーホーネットより航続距離が長かったことから、敵地の奥に侵入し爆撃する能力は、そこそこ高かったようです。

●TF30エンジン
TF30エンジン

F-14でもA型のみに搭載されるTF30エンジン。世界初のアフターバーナー付きターボファンエンジンで、元々はF-111戦闘機用(更に元を正すとF6D戦闘機用に開発)されたもの。推力が不足気味で、初期のものはコンプレッサーストールが発生しやすかったようですが、末期にはデジタル制御となり、ストールはほぼなくなったとされます。
なお、F-14でもB/D型は推力の高いF110エンジンを採用しています。

レドームのないF-14A

こちらはレドームを外され、AN/AWG-9レーダー整備中と思われます。
無造作にガムテープでアルミシートを固定しているのがなんとも…

着艦用フレネルレンズ

CTOL空母には欠かせない、着艦時の進入角を判断する光学着艦装置。フレネルレンズを使用しています。

空母キティホークの艦橋

空母キティホークの艦橋

艦を降りました。これは右舷側から見た空母キティホークの艦橋です。
最新の空母と違い、ステルス性への配慮は全く無いですね(笑

空母キティホークの艦尾

キティホークの艦尾。右側の黒い丸いのは、シースパロー対空ミサイル誘導用のイルミネーター。中央にはシースパロー発射機が見えます。

以上、空母キティホークの見学記録、さてHPの改修はいつになるかな?

2000年10月14日 小樽港に寄港した空母「キティホーク」を見学した42019年07月24日 06時38分

空母キティホーク艦上にて。
甲板に所狭しと並べられている飛行機を観察。

●VFA-192所属のF/A-18C
VFA-192所属のF/A-18C

機体全体を撮るのがなかなか難しい状況、垂直尾翼のみ切り取った、VFA-192"Golden Dragons"のF/A-18Cホーネット。
日本に配備されていいる機体ゆえ、「幸運」と漢字で書かれています。

アングルドデッキからの眺め

アングルドデッキから、艦前方を眺めた様子。
救命いかだが多数ぶら下がっています。この当時、すでにF/A-18Cが主力戦闘機で、F-14Aトムキャットは少数でした。

左下にはCIWS ファランクスMk.15が搭載されています。

衛星通信用?レドーム

衛星通信用と思われるレドーム。当時の記事のコメントには、TVアンテナもある、と書いていますが、果たして…。衛星放送のアンテナだとしたら、入っていそうですね。

空母キティホークの艦橋

艦橋と今はなきS-3Bヴァイキング、EA-6Bプラウラー、SH-60Fシーホーク(写真右端)。SH-60Fは、現在改良型のMH-60Rとなっています。

空母キティホークの艦橋

艦橋のレーダー類は、今見るとやや旧式な感じですね。
奥には今はなきサティの看板が…

続く…

2000年10月14日 小樽港に寄港した空母「キティホーク」を見学した32019年07月23日 05時36分

続き~

●空母キティホークのエレベーター開口部構造
キティホークのエレベーター開口部

何となく撮ったと思われるエレベーター開口部からみたエレベーターの底面。
まさかこの十数年後、自衛隊も、実質ヘリ空母で再度エレベーターを持つ「いずも」型護衛艦を持つことになるとは、この時は想像だにしなかったですね。

●VF-154のF-14A
F-14A

VF-154所属のF-14Aです。この当時はわかりませんでしたが、TF30エンジンであること、VF-154はF-14B/D型は装備しなかったため、A型のトムキャットとわかります。
トムキャットも米空母から消えて久しいですね。
垂直尾翼の騎士は、VF-154の部隊マークで、通称Black Knights。今ではロービジ化によって、このような派手な塗装は見なくなりました。
ちなみに、この撮影後の3年後、2003年にはVF-154はF/A-18Fに機種転換し、名称もVFA-154となっています。

VFA-154のF-14A

F-14は大きな機体ですね。
これを狭い空母で取り回すのは中々大変そう。トムキャットが早期に退役してしまったのも、後退可変翼機のメンテナンス性やマルチロール化しづらい(後退可変翼故にパイロンを用意に増やせない)というのも一因にあったと言われていますが、後継のF/A-18E/Fスーパーホーネットのほうが機体がひと回り小さく取り回しが良いというのもあったのかと想像します。

ところでトムキャットと言えば、映画「トップガン」(1986年)は今でも若き日のトム・クルーズの代表作として有名ですが、ついにその続編作となる「トップガン・マーヴェリック」が公開されることになりました!
とても楽しみ!


●VFA-195のF/A-18C(手前左)
VFA-195のF/A-18C

トムキャットに比べるとコンパクトなホーネット。すでにこの当時、主力はF/A-18C/Dに移行しつつありました。
こうしてみると、ホーネットや、少し大型化した現代のスーパーホーネットは、艦載機としては安定して完成された機体なのかもしれませんね。

エレベータ開口部から出場

エレベータ開口部が入出場口になっていました。
遠くに見える建物は、90年代に鳴り物入りでデビューした、マイカル小樽。マイカルサティとビブレが入っていました。
ご存知の通り、マイカルグループはこの次の年の2001年には経営破綻し、現在のイオングループに吸収されてしまいました。
現在は、ウイングベイ小樽として現存しますが、何度か経営破綻し、あまりうまく行ってない様子…。
この当時はまだ活気があったのですけどね。

●キティホークの飛行甲板
キティホークの飛行甲板

飛行甲板に上がりました。

EA-6BプラウラーとS-3Bヴァイキング

すでに米空母からは全て退役してしまった機体たちです。
一番左は、電子戦機のEA-6Bプラウラーで、海軍では2015年までに、後継のF/A-18FベースのEA-18Gグラウラーに機種変更されています。
お隣のS-3Bヴァイキングは対潜哨戒機でしたが、冷戦後の対ソ連潜水艦監視任務が陸上機のP-3Cに移管されたため、この時点では空中給油や対艦対地攻撃機として使用されていたようです。
これもF/A-18E/Fに取って代られており、ライノって何でもできるんだな~と思います。そりゃF-35Cの導入が決まっても、ライノが同時調達される所以です。

左舷側から艦橋を望む

EA-6Bプラウラーの真正面

所狭しと機体が並んでいて、世界最大級の米空母と言えど、決して余裕があるわけではない、と言うのがこの時のYamaroの感想でした。
飛行機からしたら、猫の額のような場所に着艦するわけです。
写真はEA-6Bプラウラーの正面。
乗員4人で、乗員レイアウトは車のような感じです。空中給油プローブが、正面から見て左側にオフセットしているのは、パイロットが空中給油時に、プローブと一直線上に機体を調整しやすくするため。
ちなみに、残り3人の乗員が電子戦士官となり、前関左側が通信妨害、後席2名が電子妨害、対レーダー攻撃を担当します。

続く…

2000年10月14日 小樽港に寄港した空母「キティホーク」を見学した22019年07月22日 06時30分

空母「キティホーク」の格納庫に入ったわけですが、この時、レンズはAI AF 35mm f/2Dが最も広角。
SIGMAの28-70mmも持っていたのですが、何故かこの日は持っていかなかったのですよね。
大学生の頃のYamaroは何を考えていたのやら。

●VFA-27のF/A-18Cホーネット
VFA-27のF/A-18ホーネット

第5空母航空団(CVW-5)所属、第27戦闘攻撃飛行隊(VFA-27)のF/A-18Cホーネット、の垂直尾翼。
いや~35mmレンズでは全然引けませんな。込んでいる格納庫内、全容を撮影するのは困難。
でもまあ単焦点でこの手の撮影に挑むとは…。

ただ、この当時はフイルムで、この撮影で使ったのもSUPERIA 400、ISO400のフィルムですから、艦内のノーフラッシュ撮影は厳しく、多分少しでも明るいレンズをと、単焦点をチョイスしたんでしょうね。

なお、VFA-27は、2004年にF/A-18Eスーパーホーネット(いわゆるライノ)に機種変更し、今も横須賀所属の空母「ロナルド・レーガン」に配備されています。


F/A-18C

これ以前に小樽に空母「インディペンデンス」が来たときよりは、見学者の数は少なかったようで、今見ると全然余裕な感じですね。
今はこの手のイベントの認知度が高くなり、客数も増える一方です。

●EA-6Bプラウラー
EA-6Bプラウラー

この撮影時点の2000年には、とっくにベースとなったA-6イントルーダー攻撃機は退役していましたが、電子戦機型のEA-6Bプラウラーは健在でした。
そのプラウラーも長年運用されてきましたが、今年ついに海兵隊からも退役し、全機EA-18Gグラウラーに機種変更されました。
ところで、艦内の天井にはたくさんの増槽がぶら下がっていますね。

●P&W TF30
P&W TF30

F-14Aに搭載されていたプラット・アンド・ホイットニーのTF30エンジン。
D型ではF110エンジンに改装されましたが、この当時空母「キティホーク」に配備されていたVFA-154のF-14は、Wikipedia英g版によれば、2003年にF/A-18Fに機種変更するまで、A型を装備していたようです。

●E-2Cホークアイ
E-2Cホークアイ

航空自衛隊も所有する早期警戒機です。この当時はまだホークアイ2000仕様ではなかったと思われます。今はほぼ八翅のプロペラに改装されましたが、この時点ではまだ四翅のペラですね。

●S-3Bヴァイキング
S-3Bヴァイキング

これまた懐かしい、対潜哨戒機です。こいつも2016年には海軍から退役しました。
90年代の冷戦終了後は、対潜任務より空中給油や情報収集、対艦攻撃が主任務となり、本来の対潜哨戒はもうこの当時、行われていなかったようです。

●イージス巡洋艦「ヴィンセンス」(CG-49)
イージス巡洋艦「ヴィンセンス」

これも今は退役してしまった、イージス巡洋艦タイコンデロガ級の3番艦「ヴィンセンス」。
キティホークの随伴艦で、入港はせず沖合に停泊、隊員はボートで陸に移動していました。
ベースライン1に属する艦艇で、ベースライン0の1,2番艦と、ベースライン1の3~5番艦は、ミサイル発射機が旋回型のMk.26で、6番艦以降のMk.41 VLS(垂直発射装置)と比較して、即応性・多様性に欠けるとのことで、艦齢20年程度で早期退役しました。
すでに解体済みとのことで、たとえハイテクで高価なイージス艦であっても、部隊運用に適合しない場合は早期退役させるというのが、なんともアメリカらしいです。
2005年に退役しているため、今では希少な写真となりました。
当時使っていた望遠レンズ、SIGMA APO Macro 70-300mmで撮影。300mmでもこんな感じ。ちなみにこのレンズは今でも持っています。

続く…

2000年10月14日 小樽港に寄港した空母「キティホーク」を見学した12019年07月21日 09時25分

当HPにも掲載している、2000年10月14日、小樽港に寄港した米空母「キティホーク」(CV-63)、2000年当時掲載した記事も、20年近く経過した今、当時の画像は、今や貴重なものとなりつつあるわけですが、如何せん掲載写真は、当時のパソコンの解像度(800X600)を意識したものであり、今となってはスマホですら、この低解像度では鑑賞に耐えません。
記事も、まだ学生だったYamaroが当時書いたものです。

ということで、写真をスキャンし直し、記事も書き直していなと思って、スキャンを開始しました。
いずれはHPも改定しますが、まずは写真を。

石原裕次郎記念館近くの勝納埠頭に停泊する空母キティホーク

今は閉館し解体してしまった、石原裕次郎記念館。その向こうにある勝納埠頭に停泊する空母キティホーク。
キティホークは、戦後初の米空母、フォレスタル級空母を改良した、通常動力空母としては最終世代にあたる空母でした。
当時、キティホークは、核アレルギーの酷い日本は横須賀に配備のため、通常動力空母として1998年から横須賀に配備されました。

現在では、通常動力空母はすべて退役し、原子力空母のみとなったため、横須賀にも原子力空母が配備されていますが、とにかくこの当時は残り少ない通常動力空母を、優先的に日本に配備していました。

それほど混雑はしていなかったキティホークの見学

フィルムの端の変色が始まりつつあります。右端、変色していますね。
この時は、それ以前の空母公開よりは、やや人混みも少なかったようです。
今だったら、もっと激混みでしょうね。

空母キティホークの艦橋クローズアップ

空母キティホークの艦橋クローズアップ。
最新の「ジェラルド・R・フォード」級空母と比べると、古典的な外観ですが、今現役の原子力空母「ニミッツ」級は、今もこんな雰囲気ですよね。もちろん、電装品は20年も経てば大幅に更新されています。

シースパロー発射機にはCV63の文字

シースパロー短SAM発射機にはCV63の文字と星条旗が。いかにもアメリカですね。

空母キティホークの格納庫内

いよいよ艦内へ。格納庫内は戦闘機やらでいっぱいでした。

続きはまた。

AI Nikkor 24mm f/2で撮った写真をスキャンしてみた2019年05月28日 06時44分

先日サイボクハムに行った際に撮影した写真。
AI Nikkor 24mm f/2で撮った写真(フィルムはNEOPAN ACROS 100)をスキャンしてみました。

AI Nikkor 24mm f/2の絞り開放
▲AI Nikkor 24mm f/2の絞り開放

絞り開放。流石に大口径レンズ、広角でも、最短撮影距離に近い近接撮影、開放ではこれだけボケますね。
設計が古いだけあり、周辺になるほど背景ボケは流れている感じです。背景によっては、うるさいボケかもしれませんが、この作例では、あまり気にないかな。


AI Nikkor 24mm f/2のf2.8
▲AI Nikkor 24mm f/2のf2.8

この作例では1段だけ絞りました。多分シャッタースピードは1/2000ですね。こういう時は、F2の1/2000秒までのシャッタースピードはありがたいです。
もちろん、1/8000まで切れればもっとありがたいですが…。

周辺になるにつれて、収差の影響でコントラストが低下していますが、ピントに芯はあり、解像度が落ちているわけではないのがすごい。
現代の広角レンズは、ズームの24mmであっても、周辺まで高解像力で収差も殆どないレンズが多いですが、このレンズは70年代の設計ですから、周辺まで高解像力・高コントラストというのは無理な話。
ですがこのレンズは、解像度については絞り開放でも中心はかなりよく、周辺も解像力はあります。収差が出るのは致し方ないかな。

今度はカラーリバーサルで撮ってみたいです。
リバーサル、いつの間にか値上がりして、1本1600円とか…。

ホンダTN-7をフィルムとデジタルで撮る2019年05月20日 06時32分

蔵出し写真から。
2008年4月、三峰神社の廃ロープウェーを撮影しに行った際に、山中で撮影した廃軽トラ。

ホンダTN-7 Nikon D300で撮影
データ:Nikon D300 + AF-S DX Zoom-Nikkor 18-70mm f/3.5-4.5G IF-ED  Aモード(f/4 1/40)-0.7 31mm(換算46mm) RAW現像

この当時、初めてのデジタル一眼レフD300を前年末から使い始めたけど、まだデジタルがメインではなかった時代でした。
なのでフィルムと併用し、デジタルはネガフィルム代わりのように使っていましたね。

ホンダTN-7 Nikon F90Xsで撮影
データ:Nikon F90Xs + AI AF Nikkor 35mm f/2D Aモード Kodak T-MAX 400 

フィルムとデジタルの違いにご注目ください。
フィルムのほうがコントラストが低いのですが、味わい深い表現になっています。
D300はRAWを最新のCapture NX-Dでモノクロ現像しましたが、もう少しシャープネスを落としてよかったかも。


写真は、ホンダのTNトラックの最終型、TN-7と思われます。
日本の軽自動車で最後の空冷エンジン搭載車でしたが、ホンダは、本田宗一郎の考え方により、最後まで空冷エンジンを引きずることになり、結果的に水冷エンジンで出遅れてしまいました。
挽回を図るために、水冷エンジンを積んだアクティにモデルチェンジし、現在に至っていますが、現在もアクティはライバルのスズキヤダイハツの周回遅れな感じになりつつあります。
アクティバンが、N-VANにバトンタッチされましたが、トラックの方はどうなるやら。

水根貨物線遺構 第二境橋梁2019年05月15日 06時40分

水根貨物線遺構 第二境橋梁

奥多摩にある小河内ダム建造のために敷設された東京都水道局小河内線(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E6%B0%B4%E9%81%93%E5%B1%80%E5%B0%8F%E6%B2%B3%E5%86%85%E7%B7%9A)、運行期間は5年半とのこと。

その後、最終的には民間会社である奥多摩工業に譲渡され「水根貨物線」となりましたが、実際にはダム建造の資材を運ぶための最初の5年半しか使用されなかったようです。

写真の撮影は2003年8月、現在の姿ではありません。
第二境橋梁と呼ばれているここは、線路自体がありませんでしたが、他の場所は今でも線路が残っているようです。

16年前の撮影ですが、現在の姿も確認したいですね。

この時代はまだフィルム撮影でしたが、リバーサルフィルムだけあり、当時スキャンしたものをそのままリサイズだけして掲載しましたが、画質は今でも通用しますね。

昨日はヘリコプターの日だったらしい2019年04月16日 06時27分

1日出遅れてしまいましたが、昨日4月15日はヘリコプターの日だったそうです。

●CH-47J(07-4477)
CH-47J(07-4477)

懐かしの1999年の千歳基地航空祭から。
CH-47J自体は現在も改良型が生産中で珍しくはないですが、航空自衛隊向けのチヌークの初期型は、もうすでに退役しています。
写真の機体は、1990年登録のJ型で、これもすでに退役済みです。

自衛隊では、陸上・航空とも1986年から導入開始され、現在は両サイドの燃料タンクが大型化されたJA型(陸上自衛隊)とJ型LR(航空自衛隊)が主力となっています。

ところでこの写真、支援車両ももう20年前の撮影なので、古さを感じますね。
右端のアクティバンも最近はもう殆ど見かけなくなったし、中央にいるマツダのポーターキャブも、最終生産が1989年なので、この時点で10年落ち。
アクティの隣の日産サファリは、1997年まで生産だったので、この撮影時点では全然古くなかった車両ですね。