【千葉遺構撮影ツアー】旧陸軍金谷砲台跡 砲台山ハイランド22019年08月18日 08時22分

弾薬庫跡を見た後は、他の施設も。

トイレと思しき建物

多分トイレかなぁと思しき建物。

やっぱりトイレ…の洗面台

トイレの洗面台。もう1台あったと思われますが、1つだけ残っていました。ここも屋根が崩壊。

男子便所の朝顔便器

男子トイレ側は、懐かしの朝顔便器。上には水洗用のタンク。昔はこういう水洗用のタンクが上に取り付けられていましたね。
こちら側はまだ屋根が残っていました。

腐食崩壊中の屋根

トイレの屋根。錆びが侵食し、崩壊しつつあります。
なるほど、鉄板の屋根が腐食して、コンクリートブロックの壁のみになりつつあるのは、昨日上げたトイレの写真と同じですね。

封鎖中の弾薬庫トンネル

弾薬庫トンネル、こちら側はきちんと封がされていました。扉ではなく、封ですね。

BBQ場跡

BBQ場跡にやってきました。
現代のスタイルのバーベキューが日本に定着したのはいつ頃か知りませんが、1960年代の日本でも、こうしたアウトドアでBBQを楽しでいたのでしょうね。

森に侵食されつつあるBBQ場

おしゃれなレンガ、大きな屋根の下で、雨の日でもBBQを楽しめたのでしょうね。
今でも、こうしたスタイルのBBQ場は普通にありますから、これが1960年代にあったとは、時代を先取りしすぎていたのかもしれません。

王冠付きの瓶ビール

王冠がついたままの瓶ビール、中身は半分くらい残っていました。
残念ながら、王冠は錆つき、ラベルも剥がれてしまっていて銘柄は不明。

みどりおいしぐぇ

BBQ場の横には、何年も管理されていない木々が生い茂っていました。
この撮影日は、直前に大雨が降ったのもあって、特に湿度が高かったのですが、元々この場所の湿度は高めなのでしょうね。
そんな感じの場所です。

大木を魚眼で

レンズを魚眼に交換。こういった場所で使いたかったんですよ魚眼。
左の木は見事な幹です。樹齢何年だろうか? 砲台が出来た時にはあったのだろうか?

屋根が欠落した場所

BBQ場の中

BBQ場の中。頑丈そうな木の柱のおかげで半世紀以上経過しても、倒壊せず現存しているのがなかなか。
木造建築も捨てたものじゃないのです。屋根もほとんどが残っています。

この後、何枚かBBQ場の厨房らしき場所も撮ったのですが、つまらないのでボツ。
で、再びBBQ場の屋根を撮ったのですが…

レンズに油がついてモヤってしまった

ファインダ越しに、なにかエモい描写になってると思ったんです。この日は湿度が高く、レンズも曇ることがあったので、レンズを見てみると、なんと油が付着! そのまま拭き取ろうにも、油なので油膜が残ってしまって…
どこで付着したかわかりませんが、厨房を撮っている途中から描写がおかしかったので、厨房に残っていた油が落ちてきたかもしれません。
残念ながら、魚眼撮影はここで終了。魚眼レンズなので、保護フィルタを取り付けられないですからね。

※レンズは自宅に戻って、フジのレンズクリーナー&ペーパーで何度も拭き取りを行って、やっと取れました。

ぼやで燃えた屋根

レンズを標準ズームに戻して、改めて撮影開始。

屋根で唯一欠落しているこの部分、2010年のボヤ騒ぎで燃えた箇所なののか?
ぱっと見た感じは、燃えたようには見えないです。まあボヤ騒ぎから9年も経過していますから、その痕跡すらわからなくなってくるでしょう。
ただ、大きな屋根のこの部分が欠損したことで、強度的にはネガになると思われます。
すぐには崩壊しないでしょうが、10年後にこのままの状態でいられるか?

昔のコンセント

BBQ場のコンセント。いかにも昭和40年代っぽい形状。
これと言ったものは残っていなかったですね。

ではBBQを後にします。

謎の物体が落ちていた

森に落ちていた謎の物体。標識でもなさそうだし。これは後に正体が判明します。

砲台跡の池

砲台跡だった場所だそうです。そこに池を作ったようですが、今や枯れ葉に覆われて何だかわからない状態に。
何か生き物でもいたんでしょうか?

それでは、この場所の一番の見所?へ向かいます。

続く…

【千葉遺構撮影ツアー】旧陸軍金谷砲台跡 砲台山ハイランド12019年08月17日 06時54分

富津試験場跡から移動して次に向かった場所はここでした。

砲台山ハイランド入口

立入禁止の看板が倒れて、もたれかかっている、旧陸軍金谷砲台跡地に建造された、「砲台山ハイランド」。
金谷砲台は、関東大震災のあった1923年(大正11年)に起工、翌年完成し、七年式十五糎加農砲が4門設置されました。
この砲は、ベースとなった四五式十五糎加農砲の設計自体がそもそも大正時代でしたから、第二次大戦時には旧式化は否めませんでしたが、1943年(昭和18年)に除籍、変わって更に旧式で口径の小さな三八式十糎加農砲4門が据え付けられたようです。

WikiPediaの写真を見ると、いかにも古そうな形状の加農砲で、第二次大戦期でもこれが有効に活用できるとは到底思えないです。
それでも砲の不足から、旧式な砲を引っ張り出さざるを得なかった、旧陸軍の苦悩が伺えます。

そんな金谷砲台跡は、戦後しばらくして、レジャーランドとして活用されることに。
1960年代に開業されたとする「砲台山ハイランド」には、BBQ施設や、弾薬庫をそのままトンネルにし、砲台跡には池を設置、金谷駅からはリフトで移動でき、ダミーの砲台を設置していたようですが、1970年代には閉園したようです。
つまり、廃墟歴は40年以上になります。

ところで、看板の管理者には、目隠しの白いテープが貼られていました。

道は枯れ葉で覆われている

この道は、戦時中は物資を運ぶために使われていたようですが、砲台山ハイランド時代は、リフトを使用しない(リフト代を払いたくない)人たちは、こちらを歩いてハイランドへ移動していたようです。

木が倒壊

ちょうどこの日は、突如大雨が降るなどして、撮影時も時折小雨が降ったり、かと思ったら晴れたりと、不安定な天候。
足元も枯れ葉の下はぬかるんでいました。
木が倒壊していましたが、これももう何十年も前からこうだったのでしょうね。
斜面を覆うコンクリートは、1923年の施工開始当時のものと思われます。よく見ると、下の方は溝が掘られているのですが、何のためだろう?

トイレと思しき建物

第一建物発見! トイレと思われます。
コンクリートブロックを積み上げただけの簡素なもので、屋根はすでになくなっています。

和式便器

廃墟のトイレって何故か撮影したくなってしまうものなのです。
和式しかないのも時代ですね。

屋根のないトイレ

屋根は木の柱を残してなくなっていました。
そこに枯れ葉が入り、やがて覆い尽くされてしまうのではないかという勢い。

鳥かご跡?

鳥かご型の休憩所なのか、観察小屋なのか。ここも屋根がところどころ抜け落ちていて、もう10年もすれば倒壊しそうです。
森が飲み込んでしまうでしょう。

砲台山ハイランドの山頂

砲台山ハイランドの山頂。夏の盛りだけあって、樹の葉が多く、情景が分かりづらい。やはり夏は廃墟散策には不向きです。
盛り上がっている丘の部分に、かつて砲台があったそうです。

元弾薬庫の入り口

盛り上がっている丘の下にはトンネルが。
ここはかつて弾薬庫のあった場所で、砲台山ハイランド時代はトンネルとして使われていたのかと推測。
遠目に見たとき、まるで光が指しているかのように見えましたが、近づいてみると、何のことはない、オレンジ色の扉が外れてもたれかかっているだけでした。
かつては開放されていたトンネルですが、2010年にボヤ騒ぎがあってから、封鎖されたそうです。
それから9年、封鎖していた扉も、湿度が高い場所だからか、割と早く倒壊したようです。
とにかくこの日は気温もそうですが、雨が降ったばかりだったので湿度もかなり高かったです。

扉の向こう

写真ではそれなりに明るくRAW現像しましたが、実際にはトンネル内はベンチも見えないくらい暗く、奥に光が指しているのがかろうじて見えただけです。
RAW現像で、これだけ情報が残っているのですから、今どきのカメラのセンサ性能はすごいですね。

トンネルの中をフラッシュ撮影

肉眼ではあまりに暗いので、フラッシュ撮影してみました。
感度もISO25600まで上げてみましたが、中は座面のなくなったベンチ以外、これといったものはないようです。
壁面が黒く塗られているのは、陸軍時代からだったのか、ハイランド時代に塗られたものなのか?

奥の光が指しているところは、トタンのようなものが倒れていて、封をしていたものが経年で外れたのでしょう。
この時は懐中電灯などもないので、あえて中には入りませんでした。
特になにもないですし、有毒なガスが充満していないとも限りませんし。

下にも小屋らしきものが

下を見ると、小屋らしきものが点在しているようですが、あえて近づいてみるまでもない感じなので、眺めるだけ。

続く…

【千葉遺構撮影ツアー】旧陸軍技術研究所富津試験場跡22019年08月16日 06時13分

次に訪れたのは、富津岬の海岸沿いにある監的所。

東京湾は晴れ

富津岬の海岸、ここは海水浴はできないので、人も殆どいない。そして天気はこちらから側は晴れているのですが…

迫る雨雲

東側に目をやると、黒い雲が迫ってきています。
というわけで、目的地に急ぎます。

監的所発見

富津試験場の監的所発見。
ここも草木に埋もれています。やはり夏の廃墟撮影は、あまりよろしくないですね…

意を決して草木を分けて進入

近づいてみました。
草で覆われているけど、獣道っぽくなっているのを発見。草をかき分けて侵入します。

監的所に向けて進行中

こんな感じで草に埋もれながらも進入。

監的所入り口

入口に到着。

監的所の中

中を覗き込むと、当然ながらガランドウ。

丸砂利のコンクリ

玉砂利を多く含んだコンクリ。

監的処の中に入る

スリット状の開口部と入り口。

もう一方の開口部

コンクリートは一部崩壊が。海岸沿いとあって、風化してきています。

スリットの向こうは森

このスリットは森側を向いています。陸側に向けて発射する事もあったのでしょうか?

蜘蛛

蜘蛛がのんびり獲物を待っていました。

このスリットは東京湾を見ている

このスリットは東京湾を向いています。が、今は木に覆われて視程不良。

コンクリが割れて剥離

コンクリートが割れて剥離、鉄骨が見えています。すぐには崩壊しないでしょうが、確実に劣化してきています。
しかし、この場所も多くは案内板もなく放置され、朽ちるに任せています。
木造建築と違って、コンクリートなので、そう簡単には崩壊することはないですが、明らかに手が入っていないだけに、せめて現状を記録することが、自分たちにできることですね。

東京湾に浮かぶ船

先程のスリットから、遠方にフォーカスを合わせると、貨物船が見えます。
当時は海に向かって射撃して、カノン砲や榴弾砲の試験をしたのでしょうか? あるいは、監視活動を行っていたのか。

少しずつ剥がれ落ちているコンクリート

少しずつコンクリが剥がれてきています。
戦後75年近く経過、確実に劣化はしてきています。

監的所を後にする

監的所を後にします。こうして改めて見ると、劣化してきているとはいえ分厚いコンクリート、崩壊はまだまだ先でしょう。
コンクリートは、現代の技術で適切に施工すれば、数百年近く持つとされているようです。

富津試験場のあった場所は、明治14年、1881年に設立され、当初は要塞司令部が置かれて28cm榴弾砲6門、12cmカノン4門が設置されていましたが(前日ブログ参照)、陳腐化により榴弾砲は移転。
変わって1919年より富津試験場として建造開始、四一糎榴弾砲やフランス製の二四糎列車加農砲の試験が行われたそうで、この監的所もその頃建てられたものかもしれません。
となると、建造からちょうど100年、つまり1世紀も経過しているわけです。

それを考慮すると、なかなかに頑丈な施設でしょう。



もう1つの遺構では、DQNがBBQ

最後に行った遺構では、DQNがBBQしていました。乗り入れ禁止の海岸に、ロープを解いて勝手に侵入、立入禁止の遺構内でBBQ中。車もお察しな感じでした。

富津試験場はこれにて終了。他にも遺構はあるようですが、埋もれていて確認できず。
それではもう1箇所の目的地に移動します。続く…

【千葉遺構撮影ツアー】旧陸軍技術研究所富津試験場跡12019年08月15日 06時34分

本来の最初の目的地だったはずの、旧陸軍技術研究所富津試験場跡(通称富津試験場)。

富津岬は何度か行ったことのある場所でしたが、富津試験場の遺構は、存在は知っていたものの、なにか地味な存在な感じがしてスルーしていたのですが、せっかくの後輩のリクエストなので、行ってみることに。

富津公園から

この時点では、まだ現地は晴れていましたが、遠くには黒い雲が迫ってきている状態。
実際、ここまで歩いていて急に小雨が降り出したりと、不安定な気候。ちょっと雨が降って急に晴れたりするので、気温も下がらないどころか、湿度も急上昇して、不快指数も急上昇。汗ダラダラです。

中の島展望台は封鎖中

富津公園の中央にある池の中に、砲台跡があります。
先に砲台跡のある島の頂上に行くと。展望台は落下物ありとのことで閉鎖中でした。

観測壕

最初に目についたのは、円弧状の石垣。これは観測壕だそうです。

富津元州堡塁砲台跡

富津元州堡塁砲台跡と称されている場所ですが、古いコンクリートのこの場所に砲台があったわけではなく、実際はこの写真の左側似あったようです。
奥に行くと…

拓魂?

「拓魂」というプレートが貼られていますが、これは後に付け加えられたもので、元々は射撃方位盤か何かが載っていたと思われます。

観測所だったところ

観測所だったところ

この階段のある部分は、コンクリートで塞がれていてなんだかよくわかりませんが、観測所があったそうです。

地元函館だと、函館山にあった砲台跡や壕なんかは、説明の看板が立っていたりするのですが、この場所には一切そういったものはなく、なんのために保存しているのかわからなくなってしまいます。

弾薬庫の穴が

階段を降ると、ぽっかり穴が空いている場所があります。

弾薬庫入り口

この穴は高さがあまりなく、屈まないと中には入れません。
戦時中の日本人成人男子の平均身長は160cm程度だったようですが、それを考慮しても、やっぱり低いです。

弾薬庫の中の様子

中に入ってみると、美しいレンガの壁で作られた弾薬庫内は、それほど広くもなく、砲台跡付近にも弾薬庫があることから、ここはあまり口径の大きくない砲弾用か、一時的な置き場所だったのかもしれません。
中央上部の穴は、塞がれていますが、伝声管があったようです。

弾薬庫の通風孔

通風孔らしきものが、雑草の生い茂った中にありました。
この下に弾薬庫があると推測しますが、なにせ夏の盛り、雑草が大量に背が高く生い茂っていて、全体像がわからない状況。
他の方の昔のブログを見ると、ここは埋まらず根本まではっきり見えていたので、やはり真夏のこの手の撮影は、草木も生い茂り、虫も飛び交う状況ですから、本来は避けるべきなんですよね。

廃墟撮影は、いつもツアーを組む場合はGW期間中にやっていたのも、気温もそうですが雑草や虫を避けるためでもあります。
春秋くらいがちょうどよいですね。

弾薬庫跡と砲台跡は草木に埋もれていた

天気が微妙、雲が来たり晴れたりの繰り返しです。
上の写真は、まさに夏の盛りの伸びた雑草に埋もれてしまった、弾薬庫と砲台跡。
もう何がなんだかわかりませんし、案内板もないので、後10年もしたら、ここがなんだかわからなくなってしまうのでは?


観測壕クローズアップ

移動します。
別の観測壕をクローズアップ。この時代のコンクリートに多い、大粒の砂利を混入させたもの。風化してきて穴が開いています。

大池をまたぐ橋

大池をまたぐ橋

池をまたぐ橋は、なんとも古めかしい感じで、これも戦時中に作られたものなのか?
建造年を示すものは見つけられませんでした。

では橋を渡って富津元州堡塁砲台跡を後にします。

公園内には様々な試験場遺構が残されています。
次に行ったのは…

射入窖

筒状の建物は、「射入窖」(しゃにゅうこう)という、機関銃や小銃などの射撃試験をするところです。

射入窖入り口

雑草や蜘蛛の巣をかき分けて、なんとか入り口?にたどり着きました。

地面には砂が

中は、上面のコンクリートが腐食しているのか、まるで素掘りをしたかのようなガタガタ具合。
地面に砂がありますが、これは後から混入したのではなく、跳弾を防ぐためのようです。

玉砂利を含んだコンクリート

天井は玉砂利を多く含んだコンクリートがボロボロに風化している様子。
中心に穴があり、何かを通していたのでしょうか?

1952

壁に掘られた「1952」は、戦後のイタズラでしょうか?

鍾乳石

小さな鍾乳石ができていました。
戦後74年ですが、この鍾乳石は年数に対して小さく、この射入窖に使われているコンクリートに含まれる石灰成分があまり多くないのかな?
頑丈に作られているのか、水分の浸透が少ないからなのか、よくわかりませんが。

出口を望む

これだけ生い茂っているんですよ…

今の時代、スマホがあれば、GPSで簡単に場所がわかります。
GPSがついていたガラケーの時代は、いくら緯度経度がわかっても、地図がダメダメだったので、参考程度にしかならなかったけど、今ならかなり精度よく場所を見つけられるはず…
ですが、真夏、草が生い茂って場所がわからない。
散々歩き回った挙げ句、この場所の監的所は…

草に埋もれた監的所

草に埋もれて到達不可能。
これは冬から春にかけてじゃないと無理じゃないかな。

このあと、公園の外にある監的所を目指しました。
続く…

【千葉遺構撮影ツアー】旧君津会館(君津診療センター)2019年08月14日 09時35分

今年の夏休みは日中撮影できる機会があったので、後輩を誘って撮影に出かけることに。
後輩くんのリクエストにより、千葉の西海岸?方面に出向きました。
天気予報はずっと微妙でしたが、千葉方面はとりあえず、この時点では晴れていました。

最初の目的地に行く前、ちょいと道を間違えて走っていたところの目がついた物件、せっかくなので見てみることに。

妙な外観の古いビル

戦時迷彩!?と思いましたが、それにしては色がしっかり残っていますし…

奇妙な外観のビル

正面に回ると、こんなイメージです。
シャッターが空いていました。全く管理されていない廃墟ではなさそうです。

多くの窓には封が

ビルの作りからして、かなり古いものであることは間違いなさそうです。
窓には大方封がしてありました。
どういう意図なのか不明です。

シャッターの向こう

シャッターの向こうには、軽のバンが停まっていました。もちろん現役車両です。

中は照明も

1階は倉庫のようですね
ALSOKのステッカーも貼ってあります。

隣には小さなブースが

建物の横には、警備員の詰め所?みたいなのがあって、ご丁寧にこちらにも迷彩塗装が。

電線はカット済み

電線はカットされていました。

というわけで、ネタ物件的になってしましたが、その場で調べると、旧名称「君津会館(君津診療センター)」、そして現在はAQUASTUDIOという貸しスタジオになっているようです。

帰ってから調べてみると、恐らく1960年代に作られており、当時は、

地下:クラブ・麻雀?
1階:パチンコ店・クラブ?
2、3階:ボーリング場
4、5階:君津診療センター
6、7階:ペントハウス?

だったようです。
そして、70年代後半には閉鎖されたとあり、以降21世紀をまたぐまでは閉鎖されたままの廃墟だったようです。
古い廃墟系サイトを見ると、廃墟だった時代は30年近くにも及ぶようです。

それが、今世紀に入り、いつ頃かは不明ですが、廃墟スタジオとして生まれ変わったようです
AQUASTUDIOのページを見ると、現在の内部の様子がわかります。

まあ、久しぶりのこの手の撮影なので、最初はゆるいものからスタートですかね。
続いて本来の目的地に移動します。

コテージでBBQ2019年08月13日 05時40分

コテージはこんな感じです。

コテージ

今回のお泊り旅行では、ホテル棟から離れたコテージが抽選で予約できたので、夕食はBBQプランを選択しました。

向こうに富士山が…見えない

コテージからのロケーションは、目の前に富士山が…見えるはずなんですが、雲に隠れて見えない…

温泉に入った後にコテージに戻ると、BBQが準備されていました。
具材と炭に火を付ける所まではホテルにおまかせ、後は自分たちで焼き焼きするだけ。

BBQの具材

BBQ焼き焼き中

肉が大きい!

最初、ちょっとお肉少ないかなと思っていたら、1枚1枚が大きかった!
大きなコンロに大量に炭があったので、火力の強いこと。炭で焼くとうまいですね!
関東より5℃位気温が低いとは言え、炭火の近くでは暑い暑い。9月頃にまたやりたいですね。


富士山が見えてきた

日没くらいになって、やっと富士山が見えてきましたが、ちょうど太陽だけが雲に隠れて残念…

部屋でテレビな子供たち

子供らは早々に食べ終わって、お部屋でテレビ。大人はゆっくりいただきます。

バーラウンジにて

夜はホテル棟のバーラウンジでのんびり。

大人はウイスキー、子供はかき氷

と言ってもバーテンダーが常駐しているわけではなく、フロントに電話して来て貰う感じで、子供と一緒でもOKなスペース。
大人はウイスキーを、子供はかき氷を頂きました。

卓球

んで卓球したり。娘、初めての卓球なのに、キレッキレサーブw

ボールプールにダイブ

ボールプールにダイブしたり…

富士山と御殿場

ホテルの施設をフルに満喫したお泊りでした。

河口湖経由の御殿場旅行2019年08月12日 06時44分

夏休みです。
今回の夏休みは、妻が仕事なので、週末の家族旅行のみです。

まず行ったのは河口湖。妻が富士五湖に行ったことがないと言うので、行ってみました。

大石公園のお隣ブルーベリーの里

特にどこに行くと決めたわけではないけど、河口湖周辺をグルっと回って、途中で見つけた大石公園に行ってみました。
河口湖周辺は…山梨に住んでいたことはよく来たものです。
なにせ、廃墟では有名だった小曲園もかつて存在し、周辺はその手のスポットが多かったですから。

しかし、転職して栃木→東京に住むようになって、なかなかこちらには足を運べなくなりました。
久々に来てみると、かつてはなかった建物も多く、この大石公園周辺も、以前はなかったよなぁと。
10年一昔ですねえ。

お店が多い大石公園

いやぁ、なんだか小綺麗になっていて、ラベンダーやらコキアやらもあって、子供らにはとりあえずブルーベリーソフトクリームを与えておきました。

河口湖と富士山…が見えない

河口湖と富士山が見える…はずだったんですけどね(汗
ちょうど雲にすっぽり隠れて富士山が見えない。こんなに晴れているのに、富士山らしいと言うか…

公園で遊ぶ

公園で子供を遊ばせて…

小作の豚肉ほうとう

お昼はほうとう。山梨と言えば「ほうとうで」ですね。
暑い日には熱いほうとうを。

その後は御殿場に移動。
宿泊地に到着。

保養所にて

富士山は相変わらず雲の影

設備は古いのですが、最近リフォームして結構きれいなところです。
ここからも富士山が見えるはず…なのですが、相変わらず雲に隠れて、恥ずかしいのかな?w

GITZO フルードジンバル雲台GHFG1と2019年08月08日 06時14分

購入直後から長い梅雨入りになってしまい、なかなか試せずにいた、GITZOのフルードジンバル雲台GHFG1でしたが、梅雨明けしたら今度は猛暑。撮影的に厳しい環境が続きますが、とりあえずベランダに三脚を設置してお試し。

GITZO GHFG1とSIGMA 150-600mm Sportsの組合せ

SIGMA 150-600mm F5-6.3 DG OS HSM Sportsに、アルカスイス互換の三脚座であるTRIPOD SOCKET TS-81を装着しています。
最近は三脚座もアルカスイス互換のものが少しずつ増えてきましたね。
アルカスイスプレートを介さなくても良いので、その分剛性が上がります。

さてジンバル雲台の場合、三脚座付きのレンズやフィールドスコープを取り付けることになりますが、取り付け位置を前後させて、水平になるところでバランスを取ります。
こうすることで、レンズを上下に振っても、締め付けせずフリーの状態にすれば水平に戻ります。

ジンバル雲台の利点は、ヤジロベエのようにバランスを取れることと、重心が支点より下になるために、一般的な3Way雲台や自由雲台のように、テンションを緩めた際にレンズやボディがガクンと下がってぶつけたりしてしまう心配がないことです。

反対に欠点としては、三脚座の着いたレンズやフィールドスコープ以外は事実上取り付けできないことでしょうか。
つまり、汎用的な雲台としては使えないのが欠点で、その点では、最近流行っているビデオ雲台のほうが汎用性は高そうです。

GITZO GHFG1とSIGMA 150-600mm Sportsの組合せ

もう1点注意が必要なのは、SIGMA 150-600mm F5-6.3 DG OS HSM Sportsのような望遠ズームレンズでは、スーミングに伴い全長が変化し、重心位置も変化することです。
重心が変化すると、水平バランスが取れなくなります。もちろん、重心が変わったから直ちにレンズがカックンと上がり下がりするわけではありませんが、フリーの状態で水平ではなくなります。こうなると、三脚座とジンバル雲台の取り付け位置を変える必要があります。
したがって、大きなズーミングでは注意が必要です。特に、SIGMA 150-600mm Sportsは、望遠ズームレンズとしては重量級の部類に入るため、ズーミングは注意が必要です。
基本的には、撮影中に頻繁にズーミングはせず、使用する焦点距離は固定して、その上でバランスを取るのが良いでしょう。

GITZOのフルードジンバル雲台、適度な粘性があるので、望遠の動画撮影にも最適です。
まずはタイムラプスで遊んでみることにします。

ちなみに…三脚はSLIK Professional II-Nですが、この組合せだと若干脚側の剛性が足りないかも…。
本当は脚もGITZOにしたいところですが、Xperia 1を買ってしまったので、来年以降にお預けです…。

Nikon F 60th Anniversary2019年06月12日 06時37分

ニコンミュージアムのもう一つの展示、Nikon F 60th Anniversary。

Nikon F 60th Anniversary

歴代のNikon F一桁機が展示されていました。Nikon FからF6まで。

ミュージアムの一角の小さな展示でしたが、このためにPhotomic FTNを持っていきまして…

Nikon Photomic FTNと60周年記念を祝う

一緒に撮りました。F2と迷ったのですが、ここはやっぱりFでしょう。

●Nikon F6(2004~)
Nikon F6

Nikon F6は、F一桁シリーズ最新にして、唯一現行のAFフィルム一眼レフ機です。2004年に発売され、今年で15年目となります。
何なら、F一桁で最も長く販売されていたF3(1980年~2000年まで販売)を超えて販売されるかもしれません。
電子部品の陳腐化が激しい現代においては、21世紀に販売された製品で、15年も売り続けるのはなかなか大変だと思います。
Canonですら、最後のフィルムフラグシップEOS-1Vが2018年に販売終了(2000年からの販売なので18年現役だった)したので、F6はまさに孤高のフィルムフラグシップ一眼レフです。

ところで、NikonはMF一眼レフも販売しています…と書こうと思ったら、なんと旧製品になっていました!
欲しい人は急いだほうがいいかもしれません。Amazonでももう自社在庫はないようで。

つまり、Nikon F6は、Nikon最後のフィルム一眼レフになる可能性が極めて高いです。さすがにF7はないでしょうね…



最後に…

●大井製作所のペーパークラフト
Nikon大井製作所のペーパークラフト

ちゃんと看板にはNikonロゴが!

2016年まで存在したNikonの大井製作所のペーパークラフト。ちゃんとNikonの看板があります。細かい!

ニコンミュージアム企画展「コレクション展」を見てきた その52019年06月11日 06時20分

コレクション展の話題は今回で最後。

●ニコレックス 8P ZOOM(1962)
ニコレックス 8P ZOOM

Nikonが8mmムービーカメラをかつて販売していたことは知っていましたが、映写機もあったのですね。あまりイメージないですね。

Pro-NIKKOR ZOOM 12-25mm f/1.5

レンズはPro-NIKKOR ZOOM 12-25mm f/1.5というスペック。Pro-NIKKORという名称なのにプロっぽくない(笑)ですが、この当時まだズームレンズはあまりなかったので、当時としては先端技術でしょうね。


●ニコン 50mm アストロカメラ(1971)
ニコン 50mm アストロカメラ

Astro-NIKKOR 200mm

性や撮影用のカメラ。カメラと言うよりレンズにフィルムバックがついた感じですね。
乾板またはシートフィルムで撮影するそうです。
今ではイメージがないかもしれませんが、かつてはNikonはこうした大判用のレンズを発売していました。
それにコパルなどのシャッター、シートフォルムボックスを組み合わせたカメラが用いられていました。
このカメラは珍しく、Nikonが一体物で販売していたようですね。シャッターはコパルのレンズシャッターが取り付けられています。
カメラの原型に近い構成です。
レンズは、名前自体がかっこいいAstro-NIKKORです。


●ニコン マリン(1956)
ニコン マリン

ニコン マリン

水中カメラ、ニコノスを出す以前には、こうした防水カメラケースがあったようです。
その名もニコン マリン、なんとも直球な名称。
しかしそこはニコン、かなり本格的な、水深50mまで対応のケースです。水中フラッシュまで用意されています。
Nikonのレンジファインダー機、S2, S3, SPで使用可能だそうです。


●Fisheye-NIKKOR 19.3mm F3.5
Fisheye Nikkor 19.3mm F3.5

Fisheye-NIKKOR 19.3mm F3.5

Fisheye-NIKKORといえば、この手の巨大なレンズを思い浮かべてしまいます。こちらは全周映画撮影用の特殊レンズで、説明書のイラストにあるように、4つのこのレンズを90度毎に取り付けて撮影したようです。
その映像を、半球型ドームスクリーンで投影したとあります。実際の映像を見てみたいですね。


●引伸機 RA-350 オートフォーカス(1975)
引伸機 RA-350 オートフォーカス

Nikonの引き伸ばし機なんてのもあったのですね。
しかもオートフォーカス。この時代、まだ一般向けのオートフォーカスカメラはまだなく、引き伸ばし機のほうが先だったとは。

EL-NIKKOR 50mm F2.8

引き伸ばしレンズは、おなじみEL-NIKKORの50mm F2.8が取り付けられていました。


●Nikon SP
Nikon SP

Nikon SPの部品

Nikon SPのファインダー

こちらは分解展示。レンジファインダー機、Nikon SPです。
部品が細かい。ですが、実は私、仕事でこれより細かい部品も扱っていたりします。eリングなんかはこれよりさらに小さいものを扱っていますが、普通に紛失します(笑


●Nikon F3
Nikon F3

Nikon F3の基板

Nikon F3の横幕シャッター

1980年のNikon F3です。電子シャッターユニットが搭載されて、電子回路基板も搭載されていますが、時代だけに集積度があまり高くない印象です。
Nikonフラッグシップ機では最後の横幕シャッターだったのもF3です。横長のシャッター幕ですね。


以上、コレクション展でした。