函館西埠頭に集う掃海艇 ― 2017年05月13日 07時20分
先に「にっぽん丸」を紹介してしまいましたが、元々函館の西埠頭といえば、海上自衛隊大湊地方隊の函館基地隊所属の第45掃海隊の掃海艇の停泊地であったりもします。
GW中に2隻を確認してきました。
まずは緑の島から撮影。こういうときに、高倍率ズームは便利ですし、マイクロフォーサーズならレンズも小さくかさばらないですね。
いずれも90年台の掃海艇で、まだ木製の船体です。
西埠頭に移動。
掃海艇「ながしま」に搭載されている、S-7機雷処分具をパチリ。
この無人潜水機を使って、係維機雷や沈底機雷を処分します。
あの湾岸戦争後の掃海を、この函館基地所属の掃海艇が、エッチラオッチラはるばるペルシャ湾まで航行して任務遂行したわけです。小型の掃海艇で、地球の裏側まで行くのですから、大変なことです。
よく自衛隊は実戦経験がないから…と批判する人がいますが、掃海部隊は、戦後から現在に至るまで、今も時々発見される戦時中の機雷処理のため、常に死と隣り合わせの"実戦"を行っているのです。
砲弾やミサイルを打つことだけが実戦ではない、ということは肝に銘じておくべきでしょう。
旭日旗が掲げられていて、監視のため隊員も乗っていますね。
GWは天気もよく、観光客が写真を撮ったりと、のどかな雰囲気でした。
元グルメシティ深堀店(の裏側) ― 2017年05月14日 06時54分
慣らし撮影にホンダエアポートに行ってきた ― 2017年05月15日 06時23分
高倍率ズームは旅の撮影に最適でした ― 2017年05月17日 05時44分
GWには、サブ機のPEN E-P5にLUMIX G VARIO 14-140mm/F3.5-5.6 ASPH.を付けっ放しでした。
35mm判換算28-280mm、この1本あれば、まあ大抵の撮影はできてしまいます。
昔はこの手の高倍率ズームは、画質イマイチ、寄れない、ボケ味悪いと言われたものですが、もはや過去の話ですね。
マイクロフォーサーズ用なので、大きさもAPS-Cカメラの標準ズーム程度以下のサイズなんですよね。
まああまり構図が良くないのはご勘弁。焦点距離92mm、望遠の絞り開放、後ボケは二線ボケの傾向もあるものの、柔らかさもそれなりにあり、高倍率ズームとしては悪くないです。
もちろんこうした撮影も、漫然とズーミングするのではなく、画角を意識しながら撮るのがコツです。
うちの親父と娘です。孫が可愛いくて仕方ないんですね。
焦点距離32mm、標準域だと解像度も良いですが、後ろの植え込みのような高周波の画像は、やや線が太くなる印象です。
今ひとつ締まらない画像なのでHDR化(逃げ
焦点距離30mm、最近気づきましたが、自分は35mm(35mm判換算)付近の画角の次に、60mm前後の画角が好きなようです。
やはり少し線が太い気がしますが、スナップには十分使えるレンズですね。
【石本酒造】越乃寒梅 純米吟醸 灑 -sai- ― 2017年05月19日 06時04分
AH-1Sコブラの薄さ ― 2017年05月20日 07時24分
データ:Nikon D810 + SIGMA 150-600mm F5-6.3 DG OS HSM Sports Mモード(f/9 1/200) 600mm ISO100 RAW現像
ちょっと前の蔵出し写真。
入間基地航空祭の一コマ。帰投するAH-1Sコブラ。
ちょっとおデブなアパッチと比較すると、コブラの薄いこと!
デブちんは乗れません(笑
自衛隊も、高価で数を揃えられなかったアパッチより、AH-1の最新型であるAH-1Zヴァイパーにしとけばよかったのに…。
でも米海兵隊装備なので、陸自的にはナシなんでしょうかね。
そもそも、攻撃ヘリ自体、もうあまり積極的に導入するつもりがないんでしょうね、陸自は。
ちょっと前の蔵出し写真。
入間基地航空祭の一コマ。帰投するAH-1Sコブラ。
ちょっとおデブなアパッチと比較すると、コブラの薄いこと!
デブちんは乗れません(笑
自衛隊も、高価で数を揃えられなかったアパッチより、AH-1の最新型であるAH-1Zヴァイパーにしとけばよかったのに…。
でも米海兵隊装備なので、陸自的にはナシなんでしょうかね。
そもそも、攻撃ヘリ自体、もうあまり積極的に導入するつもりがないんでしょうね、陸自は。
荒川の河川敷 ― 2017年05月21日 07時43分
夏到来の光が丘公園から ― 2017年05月22日 06時31分
【1999年8月】千歳基地航空祭におけるUS-1A飛行艇 ― 2017年05月23日 06時27分
航空自衛隊に最後まで残ったT-33A(51-5630) ― 2017年05月25日 05時50分
今回も懐かしの写真シリーズ。
先日掲載のUS-1Aと同じ、1999年8月8日に、航空自衛隊千歳基地で行われた航空祭での一コマ。
T-33A練習機は、当時最も古い自衛隊機であり、原型は初期のジェット戦闘機であるP-80戦闘機。
T-33Aは、航空自衛隊創設期に導入された最初のジェット練習機であり、写真の51-5630号機は、アメリカより航空自衛隊に供与された、アメリカ製の機体です。
後に、T-33Aは日本でライセンス生産されることになりますが、ライセンス生産された機体が80年代から退役し始めていますが、逆に初期に供与された機体は、後継の練習機が導入されるに従い余剰となり、モスボール保管されていました。
T-33Aは初期の航空自衛隊のパイロットを養成した機体であり、第一線を退いたパイロットは、T-33Aで練習したこともあり、技量維持の年次飛行のために、まだ飛行時間に余裕があった古いT-33Aがモスボール解除され、運用されていました。
1999年11月22日のT-33A墜落事故(https://ja.wikipedia.org/wiki/T-33A%E5%85%A5%E9%96%93%E5%B7%9D%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85)を受け、残っていた8機が飛行停止となり、翌年6月に、そのまま全機退役となりました。
つまり、写真のT-33Aは、千歳基地航空祭で最後に展示されたT-33Aであり、手持ちの写真でも、動いているT-33Aを撮影したのはこれが最後となります。
残念ながら、フィルムのコマの端が変色してしまいました。
先日掲載のUS-1Aと同じ、1999年8月8日に、航空自衛隊千歳基地で行われた航空祭での一コマ。
T-33A練習機は、当時最も古い自衛隊機であり、原型は初期のジェット戦闘機であるP-80戦闘機。
T-33Aは、航空自衛隊創設期に導入された最初のジェット練習機であり、写真の51-5630号機は、アメリカより航空自衛隊に供与された、アメリカ製の機体です。
後に、T-33Aは日本でライセンス生産されることになりますが、ライセンス生産された機体が80年代から退役し始めていますが、逆に初期に供与された機体は、後継の練習機が導入されるに従い余剰となり、モスボール保管されていました。
T-33Aは初期の航空自衛隊のパイロットを養成した機体であり、第一線を退いたパイロットは、T-33Aで練習したこともあり、技量維持の年次飛行のために、まだ飛行時間に余裕があった古いT-33Aがモスボール解除され、運用されていました。
1999年11月22日のT-33A墜落事故(https://ja.wikipedia.org/wiki/T-33A%E5%85%A5%E9%96%93%E5%B7%9D%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85)を受け、残っていた8機が飛行停止となり、翌年6月に、そのまま全機退役となりました。
つまり、写真のT-33Aは、千歳基地航空祭で最後に展示されたT-33Aであり、手持ちの写真でも、動いているT-33Aを撮影したのはこれが最後となります。
残念ながら、フィルムのコマの端が変色してしまいました。
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