新旧PC-Nikkor 35mm f/2.8の装着可否について検証 ― 2018年09月16日 07時59分
ひょんな事から(笑)、現在新旧のPC-Nikkor 35mm f/2.8が手元にあります。
新旧問わず、いろいろな方のブログやHPやらで、新旧問わず、最近のNikonデジタル一眼レフに装着した作例を見かけます。
ところが、フィルム時代でもAF一眼レフ以降の取扱説明書上では、【使用できないレンズ】一覧に、殆どと言っても良いくらい、以下の記載があります。
【使用できないレンズ】
・PC35mm f/2.8(製品No.851001~906200) ※実際には左記レンズ以外にも記載あり
・PC35mm f/2.8(製品No.851001~906200) ※実際には左記レンズ以外にも記載あり
これは、手持ちのカメラで言うと、1994年発売のF90Xsもそうですし、1998年発売のF100、そして最新の一眼レフであるD850も同様です。
しかし、逆に1996年発売のNikon F5の説明書には、このように書かれています。
●下記レンズをご使用になる場合は、カメラの露出系連動レバーを可倒式に改造することにより使用可能となります。
・PC35mm f/2.8(No.906200以前の製品) ※実際には左記レンズ以外にも記載あり
これはつまり、カメラの露出計連動レバー(いわゆるAiガイド)が接触しますよ、ということを意味しています。
実際、Ai方式以前のレンズは、Ai改造しない限り、絞りリングが露出計連動レバーに接触するために、装着できません。
無理に装着しようとすると露出計連動レバーを破損させてしまいます。
ところが、旧型のPC-Nikkor 35mm f/2.8については、装着し、作例も多く見かけます。
では実際に装着できるのか、装着した場合の露出計連動レバーの干渉はどうなのか、新旧で比較してみました。
ボディはD850です。
▼旧PC-Nikkor 35mm f/2.8装着時
オートニッコールのように、完全に絞りリングが当たるというよりは、絞りリングの径がオートニッコールよりわずかに小さい(薄い?)のか、上手いことレバーが逃げているように見えます。
ただ、Nikonからすれば、これは干渉する、ということになり、装着不可としているのではと思います。
干渉といっても、干渉度合いはかなり少ないため、説明書上では装着不可能でも、実際には装着されている方が多いのではと思います。
ちなみに、写真は載せませんが、露出計連動レバーのないエントリークラスのDX一眼レフも、装着は可能でした。
手持ちのD5000は、最小絞り設定警告レバーがわずかに干渉(押し込まれるので干渉とは言わないかもしれない)しますが、装着も撮影も問題ありませんでした。
ただ、D5000の説明書にも、PC35mm f/2.8(製品No.851001~906200)は装着不可となっています。
▼PC-Nikkor 35mm f/2.8(New)の装着時
如何でしょう? (New)では絞りリングが浅くなっているため、露出計連動レバー(Aiガイド)の干渉はありません。
このため、現在の1959年発売のNikon Fから、最新のデジタル一眼レフまで、制約なく装着可能となっています。
というわけで、現実には旧PC-Nikkor 35mm f/2.8は、自己責任ではありますが、事実上問題なく装着可能なようです。
ただし、更に古いPC-Nikkor 35mm f/3.5については、露出計連動レバー可倒式のカメラであっても、装着不可としているカメラが多いです。
例えば、デジタルで言えばNikon Df、フィルム機でも露出計連動レバーを可倒式に改造したF5、最初から露出計連動レバーが可倒式だったF4でも、装着不可としています。
F3以前のボディにはこうした制約はなく、AF関連の何か(CPU接点?)の干渉があるのかもしれませんね。
2005年1月9日 千ヶ滝に行ったらしい ― 2018年07月28日 07時54分
懐かしい写真を。自然風景写真なので、懐かしさ要素は皆無ですが(笑
2005年1月9日、軽井沢の千ヶ滝に行ったらしい。
まだ山梨に住んでいた頃で、軽井沢は比較的遠くなかったので、こういう撮影はちょくちょく行っていました。
ありきたりな滝写真を、スローシャッターで。
この当時はまだフィルムはNikon F90Xsがメイン、サブの記録写真用として、COOLPIX2500を使っていました。
こんな感じでF90Xで撮っている様子を、COOLPIX2500で撮る、ちゃんと千ヶ滝の看板も撮っておいたので、この写真がいつどこで撮ったのがが分かるわけです。
今なら、デジタルカメラでへPSデータ付与で、撮影地もバッチリ記録できます。
1999年7月 北海道の…どこか ― 2018年05月18日 06時03分
タイトル通りである。どこで撮ったかがわからないが、道央の何処かではある。
学生時代、友人と遊びに行った時の撮影。
フィルムはFujifilmのNEOPAN PRESTO 100で、これは先ごろ生産終了が発表されたNEOPAN ACROSの1つ前のモデル。
粒状感は申し分ない。
1999年といえば、デジタルカメラの夜明けというか、まだまだ高価な時代だったが、それでも安いコンデジ(この当時は今からすれば全然コンパクトではなかったが…)が、出始めた時期でもある。
1999年にNikon D1が発売された。
それまでデジタル一眼レフは存在していたが、KodakからF5ベースの高価なものとか、CanonやNikon自身も出してはいたが、何百万円もするもので一般的ではなかった。
Nikon D1は、その何百万円もしたレンズ交換式のデジタル一眼レフでは群を抜いて安価な65万円となり、報道関連を中心に、一気にデジタル導入が進んだきっかけとなったモデルである。
あれから約20年、Fujifilmのモノクロフィルムは終わってしまうが、これからは多様化の時代、中小の様々な無名モノクロフィルムたちが発売されていて、これからもモノクロフィルムは無くならないでしょう。
学生時代のオーディオ機材をモノクロで ― 2018年04月25日 06時49分
学生時代に撮った写真。もう19年も前の写真です。
何でこれを撮ったか覚えていないけど、一部は懐かしい機材たちであり、現役の機材もある。
左上から、marantz PM-14SA、当時買ったばかりのアンプ、今も現役で使用中。
その下はTEACのDAコンバーター、D-T1、更にしたがTEACのCDプレーヤーVRDS-7をトランスポートとして使用、一番下はTRIO(現JVC-KENWOOD)のチューナー、KT-3000。
DACとCDプレーヤーは売却済み、KT-3000はこの後大学の研究室に持っていって使っていたら盗難にあってしまった。
右側はONKYOのCS-PCMチューナーT-421CSM、MDデッキのSONY MDS-JA22ESにPanasonicのDATデッキSV-DA10で、ここまでは売却済み。
下のPioneerのDATデッキD-HS5とカセットデッキT-03SRはたまにしか使わないけど現役。
現在使っているオーディオ機材も、多くが20年選手となってしまったけど、さすが国産、ちゃんと使えています。
この写真は、FujifilmのNEOPAN PRESTO100を使用。NEOPAN ACROSの前身にあたるフィルムで、ACROSが今年いっぱいで販売終了とか、時代を感じさせます。
無くなるものは合っても、写真は残ります、というお話でした。
何でこれを撮ったか覚えていないけど、一部は懐かしい機材たちであり、現役の機材もある。
左上から、marantz PM-14SA、当時買ったばかりのアンプ、今も現役で使用中。
その下はTEACのDAコンバーター、D-T1、更にしたがTEACのCDプレーヤーVRDS-7をトランスポートとして使用、一番下はTRIO(現JVC-KENWOOD)のチューナー、KT-3000。
DACとCDプレーヤーは売却済み、KT-3000はこの後大学の研究室に持っていって使っていたら盗難にあってしまった。
右側はONKYOのCS-PCMチューナーT-421CSM、MDデッキのSONY MDS-JA22ESにPanasonicのDATデッキSV-DA10で、ここまでは売却済み。
下のPioneerのDATデッキD-HS5とカセットデッキT-03SRはたまにしか使わないけど現役。
現在使っているオーディオ機材も、多くが20年選手となってしまったけど、さすが国産、ちゃんと使えています。
この写真は、FujifilmのNEOPAN PRESTO100を使用。NEOPAN ACROSの前身にあたるフィルムで、ACROSが今年いっぱいで販売終了とか、時代を感じさせます。
無くなるものは合っても、写真は残ります、というお話でした。
REALA ACE ネガの退色が進んでいる ― 2018年04月20日 06時33分
20年前に愛用していたネガフィルム、FujifilmのREALA ACE。
軟調のカラーネガフィルムで、階調が豊か、特に緑の発色が優れていたフィルムです。
20世紀末、デジタルカメラが少しずつ出始めた頃、まだネガカラーフィルムが主流でしたが、売れ筋はFiifilmだと、第4の感色層を採用したSUPERIAとかSUPER100、SUPER400あたりだったと思います。
でも、それらのフィルムは、解像度の低いズームコンパクトカメラにも対応できるよう、解像感が出やすいコントラスト強めの色調だったかと思います。
でもREALAは違いました。REALAというフィルム、当初はリアラ仕上げという特別な現像もありましたが、REALA ACEになってからは通常現像でOK、という触れ込みで、使いやすくなったため、愛用していました。
しかしネガフィルム、REALAだけでないでしょうが、20年近く経つと、色調がだいぶ変化してきますね。
ひどいものは黄色くなっていたりして、ひどくならないうちにフィルムスキャンを進めています。
幸い、古いNikonのスキャナも、COOLSCAN IV以降は、退色補正も使えるため、これを活用しています。
この写真は、1999年6月に、北海道は千歳市某所で撮影。あの辺りは湿地が多く、名もなき沼や湖が多く存在します。
このフィルムも少し退色していました。
フィルムの耐久性は高いですが、カラーネガは退色しやすいですね。
1999年の北千歳駐屯地創立記念式典から ― 2017年10月22日 07時29分
懐かしの写真シリーズ。
1999年5月、北千歳駐屯地で開催された創立記念式典から。
この時は、多分Nikon F90Xsを導入していた…はず。ただ、もしかしたら、友人のCanon EOS55を借りていたかも…。
こういう時に、ちゃんとデータを書いていなかったことが悔やまれ、後にF90Xsを導入後、PCと接続して撮影データ取得できるフォトセクレタリを導入した次第です。
この当時の写真を今改めてスキャンして感じるのは、あまり自衛隊の大物装備が今と変わっていない印象です。
変わったのは、更新サイクルが比較的早い車両系で、73式大型~小型トラックは、この当時の車両は現在ではほぼ見られなくなりました。
掲載はしませんが、このとき撮影した高機動車もMLRSも90式戦車も、当時は最新装備で、現在も現役装備です。高機動車は初期の車両の退役も始まっていて、同じ高機動車で更新していますね。
その中で、さすがにこれは退役している?という装備が、改良ホーク。
でも、調べると、後継の03式地対空誘導弾が高価過ぎて全更新できていないようで、更に改良しコストダウンした03式中SAM(改)ですが、これも装備が始まったばかりで、まだホークの更新には時間がかかるようです。
YouTubeで2017年の北千歳駐屯地の観閲行進を確認したところ、未だ改良ホークが装備されているようです。
それでは、1999年の様子を。
こちらは改良ホークの発射機で、写真はまだミサイルは搭載していない、準備段階。
こちらは改良ホークの運搬ローダー。あくまで運搬用です。
こちらがミサイルを発射機に装填した状態。
それにしても、1950年台に開発されたミサイルが、現在も現役とは驚きです。まあ日本では様々な事情があったとは言え、同じく50年台に開発されたF-4ファントムII戦闘機も現役ですからね。
ちなみに、ホーク地対空ミサイルは、アメリカでは2002年に退役済みのようです。
こちらは、88式地対艦誘導弾とセットの捜索標定レーダ搭載の、73式小型トラック。このジープタイプの73式小型トラックも、さすがに現在は2代目パジェロベースの1/2tトラックに置き換えられていますが、載っているレーダーそのものは、1/2tトラックに載せ替えられて現役です。
なお、12式地対艦誘導弾も開発されていますが、2017年時点で、北千歳駐屯地には88式地対艦誘導弾はまだ現役装備のようです。
73式装甲車。既に当時96式装輪装甲車が配備され始めていましたが、まだ主力の装甲車でした。
驚くべきことに、未だこの車両は現役で、先のYouTubeの観閲行進の動画を見ると、ちゃんと走ってるんですよね。
既に96式装輪装甲車の後継車両の開発も進んでいる中、なかなか装備の更新ができないようです。
ただ、無限軌道の装甲車は73式以降開発されておらず、不整地走行能力は、73式のほうが高いのかもしれませんね。
三沢基地の三菱F-1支援戦闘機 ― 2017年05月28日 07時47分
航空自衛隊に最後まで残ったT-33A(51-5630) ― 2017年05月25日 05時50分
今回も懐かしの写真シリーズ。
先日掲載のUS-1Aと同じ、1999年8月8日に、航空自衛隊千歳基地で行われた航空祭での一コマ。
T-33A練習機は、当時最も古い自衛隊機であり、原型は初期のジェット戦闘機であるP-80戦闘機。
T-33Aは、航空自衛隊創設期に導入された最初のジェット練習機であり、写真の51-5630号機は、アメリカより航空自衛隊に供与された、アメリカ製の機体です。
後に、T-33Aは日本でライセンス生産されることになりますが、ライセンス生産された機体が80年代から退役し始めていますが、逆に初期に供与された機体は、後継の練習機が導入されるに従い余剰となり、モスボール保管されていました。
T-33Aは初期の航空自衛隊のパイロットを養成した機体であり、第一線を退いたパイロットは、T-33Aで練習したこともあり、技量維持の年次飛行のために、まだ飛行時間に余裕があった古いT-33Aがモスボール解除され、運用されていました。
1999年11月22日のT-33A墜落事故(https://ja.wikipedia.org/wiki/T-33A%E5%85%A5%E9%96%93%E5%B7%9D%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85)を受け、残っていた8機が飛行停止となり、翌年6月に、そのまま全機退役となりました。
つまり、写真のT-33Aは、千歳基地航空祭で最後に展示されたT-33Aであり、手持ちの写真でも、動いているT-33Aを撮影したのはこれが最後となります。
残念ながら、フィルムのコマの端が変色してしまいました。
先日掲載のUS-1Aと同じ、1999年8月8日に、航空自衛隊千歳基地で行われた航空祭での一コマ。
T-33A練習機は、当時最も古い自衛隊機であり、原型は初期のジェット戦闘機であるP-80戦闘機。
T-33Aは、航空自衛隊創設期に導入された最初のジェット練習機であり、写真の51-5630号機は、アメリカより航空自衛隊に供与された、アメリカ製の機体です。
後に、T-33Aは日本でライセンス生産されることになりますが、ライセンス生産された機体が80年代から退役し始めていますが、逆に初期に供与された機体は、後継の練習機が導入されるに従い余剰となり、モスボール保管されていました。
T-33Aは初期の航空自衛隊のパイロットを養成した機体であり、第一線を退いたパイロットは、T-33Aで練習したこともあり、技量維持の年次飛行のために、まだ飛行時間に余裕があった古いT-33Aがモスボール解除され、運用されていました。
1999年11月22日のT-33A墜落事故(https://ja.wikipedia.org/wiki/T-33A%E5%85%A5%E9%96%93%E5%B7%9D%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85)を受け、残っていた8機が飛行停止となり、翌年6月に、そのまま全機退役となりました。
つまり、写真のT-33Aは、千歳基地航空祭で最後に展示されたT-33Aであり、手持ちの写真でも、動いているT-33Aを撮影したのはこれが最後となります。
残念ながら、フィルムのコマの端が変色してしまいました。
【1999年8月】千歳基地航空祭におけるUS-1A飛行艇 ― 2017年05月23日 06時27分
10年前のヒコーキ撮り機材 ― 2017年04月25日 06時19分
懐かしの機材写真。
10年前に百里基地を撮影していた時の機材がこちら。
Nikon F90Xsに、Ai AF-S Zoom Nikkor ED 80-200mm F2.8D(IF)とテレコンのTC-20EII。
それ以前はSIGMAのAPO 70-300mmだったので、400mmとAF-Sってだけでもだいぶ進化した。
思えば、この10年に機材はデジタル化した上に、ボディも3台購入、レンズは600mmまでとなって、結構買いましたね(汗
F90Xsは学生の時から使っていたから、この時点でも8年は使っていたわけで、デジタルになってから機材の進歩と言うか更新が激しいです。
F90Xの秒4.3コマの連写は、ミラーの遅さも相まって今となっては厳しいですが、フィルムなので無駄に連写も出来なかったので、この程度でよかったんでしょうね。
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