保育園の運動会 ― 2016年10月10日 23時49分
土曜日雨で延期していた娘の保育園の運動会、本日開催でした。
天気は晴れと思いきや、曇天になってしまい、ほんの少しだけ雨がポツポツしてどうなることかと思いましたが、天気はなんとか持ち直しました。
娘も3歳ともなると、去年よりちゃんと踊れたり競技ができたりしていて、成長を感じますね。
去年は棒立ちだったので、エライ進化です。
今回カメラはD810とD300の2台体制で、D810はSIGMA 150-600mm Sportsをつけっぱなし、D300はAF-S 16-35mmと24-70mmでしたが、やはりピントのキレや画質は後者に軍配が上がります。
D300は、やはりD810の前には画質が違いすぎて、早いところフルサイズ機2台体制に持ち込みたいです。
保育園の運動会に150-600mmなんて持ち出す人はそうそういないし、周り見渡してもビデオカメラが大半、スチル組も白レンズなどは皆無でした。
去年の反省を踏まえ、動画撮影もするだろうと、SLIKの重たい三脚も持ち出し、これはこれで正解でした。動画に三脚は必須です。というか、きょねん150-600mmを手持ちで動画撮影して懲りましたので。
ただ、保育園レベルの運動会だと、150-600mmは長すぎで、80-400mm程度のレンズが最適かな。
一応AF-S 70-200mmも持ち込みましたが、出番は少なかったです。
来年は娘も徒競走が入ってくるので、そうなると、70-200mmにx1.4のテレコンが最適かもしれません。
写真は、娘より上のクラスのお遊戯。このくらいのサイズならモザイク無しでOKかな?
娘、溶連菌にやられる ― 2016年09月13日 23時59分
娘、今日は少し元気も出て熱も下がってきたかな、ってことで出社しましたが、メールでまた熱が上がったとの妻からの連絡。
結局また病院へ行き、溶連菌感染と診断されたそうな。
熱がなかなか下がらず親としては心配だけど、抗生物質飲んで地道に治すしかないですからね。
結婚式写真はも少しで完了しそうです。
娘の熱下がらず→写真編集…じゃなく酒を買う ― 2016年09月12日 23時57分
娘の熱は下がらず、今日は会社を休んでまたまた病院に連れて行きました。
ここしばらく熱を出していなかった娘、さすがに3日目ともなるとぐったりしたご様子。
抗生物質を変えてもらい、それを飲んでからは少し良くなってきたかな。明日は出社できるかな…。仕事溜まってるし。
そんなわけで、またまた病院とちょっとした買い物以外は1日家にいたわけで、写真編集を…が、メインのPCのある部屋には居れずリビングだったので、サブのノートPCでネットサーフィン。
福島のお酒を調達。いつもの大和川酒造店です。
届くの楽しみ。
写真はブログの内容に全く関係ない、福岡市内のパチンコ店の写真。
何で撮ったかというと、今どき珍しくネオンが派手なパチンコ店なんですよ。
90年代位までは、パチンコ屋といえば派手下品なネオンがギラギラ光っていましたが、世の中の省エネ思考や、パチンコ店に対する風当たりも強くなってか、今世紀に入ってからは、派手なネオンのパチンコ店は見かけなくなってきました。
このネオンは久々に昭和風情のパチンコ屋を感じさせ、思わず撮ってしまった次第。
昨日のブログの結婚式の写真と同じ日にこんなのを撮ってるのだから、節操ないな。
ここしばらく熱を出していなかった娘、さすがに3日目ともなるとぐったりしたご様子。
抗生物質を変えてもらい、それを飲んでからは少し良くなってきたかな。明日は出社できるかな…。仕事溜まってるし。
そんなわけで、またまた病院とちょっとした買い物以外は1日家にいたわけで、写真編集を…が、メインのPCのある部屋には居れずリビングだったので、サブのノートPCでネットサーフィン。
福島のお酒を調達。いつもの大和川酒造店です。
届くの楽しみ。
写真はブログの内容に全く関係ない、福岡市内のパチンコ店の写真。
何で撮ったかというと、今どき珍しくネオンが派手なパチンコ店なんですよ。
90年代位までは、パチンコ屋といえば派手下品なネオンがギラギラ光っていましたが、世の中の省エネ思考や、パチンコ店に対する風当たりも強くなってか、今世紀に入ってからは、派手なネオンのパチンコ店は見かけなくなってきました。
このネオンは久々に昭和風情のパチンコ屋を感じさせ、思わず撮ってしまった次第。
昨日のブログの結婚式の写真と同じ日にこんなのを撮ってるのだから、節操ないな。
娘、風邪をひく→写真編集はかどる ― 2016年09月10日 23時44分
昨日、長男が退院して一息と思いきや、本日娘が風邪をひいて熱が38~40度、わぉ。
おかげさまで病院に連れて行ったのと、食材買った以外は家に引きこもっていたので、溜まっていた写真編集が思いの外はかどりました。
たなきょ氏の結婚式写真は、半分以上編集完了。秋ぐらいにはフォトブックにできるかなと。
写真はその結婚式の編集中の写真の1コマ。
本人の紹介ビデオが写っているが、これだけボケていれば大丈夫でしょ?
この写真、ISO1800ですが、さすがにこれくらいの感度ではノイズっぽさは皆無で、この辺りがD800から随分進化しているように感じます。
年末から来年に登場が噂されているNikon D810後継機が楽しみだなぁ。
アクアワールド茨城県大洗水族館に行ってきた ― 2016年08月12日 22時22分
旧福岡県公会堂貴賓館 ― 2016年07月27日 23時54分
【福岡】蔦に覆われた廃マンション ― 2016年07月26日 23時25分
まだまだ引っ張る福岡ネタ。
山笠を見て、夕飯を食べて、疲れたので一度ホテルに戻ったものの、目が冴えて眠気もないので、夜の街へ繰り出します。
福岡は修羅の国…なんて言われたりもしますが、なるほど、1本通りを奥に行くと、キャバクラやらホストクラブのオンパレード、そして川沿いのベンチでは、ホームレスがまるで自分の家の中かのように荷物を並べてくるといでいたと思ったら、カップルまでもがベンチで寝転んでいる始末。
あーなんかヤバイところに来ちゃったなぁと思いつつ、現れたのがこの廃墟。
那珂川沿いで、隣に霧島の電光看板が目立つのなんの。写真撮るにも露出引っ張られて苦労。
蔦に覆われたビル、屋根の鉄骨は、かつて何かの広告看板があったのでしょう。
別アングルから見てみると(やっと霧島の看板の光が届かなくなる)、小さめの窓や、コンクリートの変色具合など、かなり古い建物であることがわかります。
ではグルっと回って正面へ。
左手前の建物は現役の飲食店です。
このアングルから見ると、確かにマンションだったのがわかります。1階部分はなにやらアルミパネルがついていて、店舗だったのでしょうか。
更に別アングルから。やはり蔦に覆われています。正面以外は蔦に覆われていますね。
再び正面へ。
建物横にあった三相電線は切られていて、すでに建物として機能していないことがわかります。
誰でも通れる場所にあるので、流石にDQNの餌食による落書きがひどいです。
アルミパネルに覆われた1階部分。こういう感じなので、1階部分はまあ普通の飲食店な訳はなさそうで、多分キャバクラでも入ってたんでしょう。
落書きがひどいですが、隣の現役店舗まで落書きのとばっちりを受けています。
2階部分は住居だったようで、壊れかけのひさしが見えます。
ユーコービルという名前だったようです。
右が店舗、左側がマンション住居部の入り口だったのでしょうか?
特に見るべきものもないので、川沿いを散歩。
夜の福岡は、日曜にもかかわらず結構賑やかで、人出も多めでした。
一方表はちゃんとした店に言えても、裏手では従業員がスパスパタバコを吹かしてたり、ああ何か文化が違うなぁと。
福岡での廃墟活動はこれにて終了。
福岡の光と影「丸源ビル」 ― 2016年07月21日 23時53分
先日のブログで触れた「丸源ビル」
たまたま見つけた廃墟ビル「上新川端ビル」の所有者が「丸源ビル」であることがわかった。
さて「丸源ビル」とはなにか? 自分も、名前を聞いたことがある程度の知識だったので、ちょっと調べてみました。
この丸源ビルのオーナーは「川本 源司郎」という、日本屈指の資産家であり、飲食ビル「丸源ビル」は高度経済成長期に発展し、最盛期で北九州市、福岡市、東京は銀座や赤坂、六本木になど60棟以上も所有していたそうです。
徹底した現金主義で、銀行も信用せずに、自らの手でお金の管理を指定たため、バブル崩壊後もなんとか乗り切ったとのこと。
しかしながら、ビル自体はバブル期までに建造されたものが多く、60棟以上所有していたビルの過半数は売却、現在所有するビルも、今では築年数が古くなっており、飲食業(いわゆるお水系のお店)の不景気もあって、近年ではテナント数も少なくなり、ビルによっては9割以上空室となっているようです。
さらに、最近はビルの管理をしておらず、廃墟同然になっているビルも多いようです。調べたところ、テナントの立ち退きは基本難しいため、入居者が出て行ってくれるよう、わざとそうしているとの噂も。
「上新川端ビル」が平成27年1月を持って警備会社から契約を解かれたのも、こうした事情が背景にあるのかもしれません。
川本氏自身も、2013年に巨額の所得隠しと脱税で逮捕されており、高齢で跡継ぎもないことから、近年は飲食ビルについては借り手の募集もせず、貸しビル業にへの興味が薄れているとの指摘もあり、自身が死んだら資産は国に接収されて終わり、それでいいと周囲に漏らしたともされており、今後の動向が注目されます。
ビルは一般的な建物と違い、メンテナンスを怠れば大事故にもつながりかねないだけに、今後川本氏が丸源ビルをどうするのか、ただ朽ちるに任せて、自分の死まで放置するのか?
丸源ビルが消防法違反で摘発されているニュースもあるなど、老朽化の放置プレーは深刻になりつつあります。
ただ、銀座の飲食ビルではない丸源ビルについては、退廃的ムードはなく今でもテナントがきちんと入っていて、現在の川本氏の収入は、ほとんどこの銀座で得られているのでしょう。
話を戻すと、「上新川端ビル」からほど近いところに、「丸源36ビル」が存在します。丸源○○ビルのところの数字が、建てた順番を示していて、このビルで既に36棟目というのがすごい。
看板は光っていて、ビルとしてはまだ現役で機能しています。
エントランスには、いかにもバブル期に建てました、的な趣味の悪いビーナス像?がいて、照明も老朽化していますが、シャンデリアがついています。
看板を見ると、今でもそこそこテナントは入っているようです。
ただ、この「丸源36ビル」、実は既に川本氏がオーナーではなく、10年以上前に埼玉県の会社に売却されているそうです。
白とあずき色で、あずき色の上端がすぼんでいるデザインは、往年の丸源ビルらしい作りです。
福岡市で最も規模が大きいとされる丸源36ビル、さすがに中に入る勇気はありませんでした。
まあ普通にスナックとかが入ってるんでしょうけどね。
上空から眺める「春日基地」 ― 2016年07月20日 23時58分
福岡空港は、航空自衛隊の春日基地が併設されている、とは言え、春日基地って全然知らなかったわけで、どんな基地かというと、T-4練習機とCH-47Jヘリしかない小さな基地のようです。
ちょうど福岡空港から羽田へのフライトで時間があったので、展望室から写真撮っていましたが、さてそろそろゲートくぐるかと、ゲートくぐってすぐにC-1輸送機が降りてきて、撮りそこねちゃいました。
なので離陸するスカイマーク機から春日基地がちょうど見えるタイミングを撮影。
こうしてみると、航空自衛隊基地とは思えないくらい小さな基地ですね。
【福岡の廃墟】上新川端ビル ― 2016年07月19日 23時56分
福岡ネタでまだまだ引っ張りますよ。
10日は山笠を見た後、少し街をぶらついていました。すると、川の対岸になんとも香ばしいビルがあるではないですか。
上端がラウンドした特徴的な窓、大きな落書き、そして2階には「入所随時受付」「見学自由」「一時預かり」などの看板も見えます。
このただならぬ雰囲気、しかも大きなビルの廃墟は久しぶりに見ました。
ここで一気に廃墟熱に火がついたので、早速捜索です。と言っても、もう私も家庭持ち、無茶はしません。
このビル、実は反対側はアーケード街となっていて、アーケード街を歩く限り、そこにこのようなビルがあるということは分かりません。
ではアーケード街はどうなっているのでしょうか?
アーケード街側から行くと、ちょうどこのビルの場所の端にあるのが「ベビーセンター福岡」。どうやら保育園だったようです。
「上新川端ビル」の表示もあり、あのビルの廃墟がここであることがわかります。
保育園だったようです…としたのは、どう見ても現在現役ではなさそうだから。看板も色あせて古めかしいです。
アーケード街特有の電光看板は光っていますが、これはここだけ電器を消していないだけでしょうね。
なるほど、川の対岸から見た時の「一時預かり」とは、保育園のことでしたね。
よく見ると貼り紙があり、
『 丸源ビル入居者各位 ○○警備保障株式会社
平成27年1月31日をもって 丸源株式会社との全ての 契約を解除いたしました。
今後、丸源ビルの一切の対応をいたしません。 以上 』
と、ただならぬご様子。
つまり、このビル自体は、1年半前までは警備会社との契約があり、機能していたことになります。
とは言え、あの落書きの様子や荒れた感じから、ベビーセンター自体はもっと前から営業していない状態だったと推測されます。
ところで、ビルには「上新川端ビル」と記載されているのに、貼り紙には「丸源ビル」「丸源株式会社」と書かれており、ビルのオーナー自体は丸源ビルまたは丸源株式会社、ということなんでしょう。
…
ここで、やまろ、引っかかるものがありました。
「丸源ビル」ってなんか聞いたことがあるような…。
この時は思い出せませんでしたが、あとでホテルに戻って検索して、納得しました。丸源ビル、九州発祥の有名なビルオーナーの所有するビルなんです。そしてそのオーナーが何年か前に巨額の脱税で逮捕されたことも。
オーナー逮捕後、所有する古いビルは入居者が自主的に出て行ってくれるよう、建物管理を行わない方針にした…らしいので、もしかすると、このビルもその影響で警備会社への料金をわざと未払いにした可能性も…あくまで想像です。ですが、あの貼り紙を見ると、なんとなくそんな気がしますね。
この丸源ビルの件は、また後日ブログネタにするとして、とりあえずまたアーケード街から川岸側へ移動して、もう少しビルを近くで見ることに。
ここは普通に歩道があり、誰でも通れます。なので、廃墟はDQNの格好の餌食なわけです。落書きがひどいですね。
特徴的な縦長の窓の形が、個性的でもあり、なおかつ昭和の古臭さも感じます。最近は廃墟趣味が建築そのものにも向いてきてるような気がします。
今はこんなに荒れていますが、かつてここが以前は保育所だったとは…。
ちなみに現役時代は24時間保育をやっていたようで、この場所のすぐ近くがキャバクラやホストクラブなど多数存在する場所故に、そういったところで働く方の需要があったのでしょう。
2階へ上る階段は錆び付いていて、底が抜けそうでした。
落書きされた窓ガラスの向こうは、荷物が積み上がっているようで、中の様子は伺えません。
手前のエアコン室外機の幾つかは稼働していました。
これは、このビルの1階部分、ベビーセンターの左隣は現役の店舗がいくつか入っているため、その店舗のエアコンと思われます。
ビル自体は窓を見る限り7階建てのようですが、ベビーセンターは2階だけと思われ、それより上に何が入っていたかは、窺い知ることは出来ませんでした。
ただ、この丸源ビルがあの丸源ビルだとすると、昔は飲食店が入っていたのでしょうか?
配電盤は電線がカットされていますが、プロパンガスは現役のようです。ガスメーターも動いていましたし、有効期限もまだ先でした。
夜になり、再びアーケード街に出向きました。
シャッターを下ろしていますが、これらの店舗は現役。奥に「ベビーセンター福岡」の看板が見えます。
つまり、写真手前の店舗も「上新川端ビル」の一部を利用しています。
実際に、2階部分はビルの外壁っぽい物が見えます。
先程も気になったので、「上新川端ビル」と書かれた先を今一度撮影。
なぜか博多警察署と書かれた車止めが放置されています。
その奥にはベニヤ板で覆われており、現役時代はここが「ベビーセンター福岡」の入り口だったのでしょう。
写真の角度ではわかりづらいですが、左側の壁には、アニメのキャラクターらしきものが貼られていました。
これ以上の捜索は不可能のため、夜になった「上新川端ビル」をまた川の対岸から拝むことに。
もちろん、窓に明かりが灯ることはありませんでした。
この物件は、検索しても詳しい情報は得られませんでした。
もし現役時代をご存じの方がいらっしゃいましたら、コメントいただければと思います。
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