【千葉遺構撮影ツアー】旧陸軍技術研究所富津試験場跡22019年08月16日 06時13分

次に訪れたのは、富津岬の海岸沿いにある監的所。

東京湾は晴れ

富津岬の海岸、ここは海水浴はできないので、人も殆どいない。そして天気はこちらから側は晴れているのですが…

迫る雨雲

東側に目をやると、黒い雲が迫ってきています。
というわけで、目的地に急ぎます。

監的所発見

富津試験場の監的所発見。
ここも草木に埋もれています。やはり夏の廃墟撮影は、あまりよろしくないですね…

意を決して草木を分けて進入

近づいてみました。
草で覆われているけど、獣道っぽくなっているのを発見。草をかき分けて侵入します。

監的所に向けて進行中

こんな感じで草に埋もれながらも進入。

監的所入り口

入口に到着。

監的所の中

中を覗き込むと、当然ながらガランドウ。

丸砂利のコンクリ

玉砂利を多く含んだコンクリ。

監的処の中に入る

スリット状の開口部と入り口。

もう一方の開口部

コンクリートは一部崩壊が。海岸沿いとあって、風化してきています。

スリットの向こうは森

このスリットは森側を向いています。陸側に向けて発射する事もあったのでしょうか?

蜘蛛

蜘蛛がのんびり獲物を待っていました。

このスリットは東京湾を見ている

このスリットは東京湾を向いています。が、今は木に覆われて視程不良。

コンクリが割れて剥離

コンクリートが割れて剥離、鉄骨が見えています。すぐには崩壊しないでしょうが、確実に劣化してきています。
しかし、この場所も多くは案内板もなく放置され、朽ちるに任せています。
木造建築と違って、コンクリートなので、そう簡単には崩壊することはないですが、明らかに手が入っていないだけに、せめて現状を記録することが、自分たちにできることですね。

東京湾に浮かぶ船

先程のスリットから、遠方にフォーカスを合わせると、貨物船が見えます。
当時は海に向かって射撃して、カノン砲や榴弾砲の試験をしたのでしょうか? あるいは、監視活動を行っていたのか。

少しずつ剥がれ落ちているコンクリート

少しずつコンクリが剥がれてきています。
戦後75年近く経過、確実に劣化はしてきています。

監的所を後にする

監的所を後にします。こうして改めて見ると、劣化してきているとはいえ分厚いコンクリート、崩壊はまだまだ先でしょう。
コンクリートは、現代の技術で適切に施工すれば、数百年近く持つとされているようです。

富津試験場のあった場所は、明治14年、1881年に設立され、当初は要塞司令部が置かれて28cm榴弾砲6門、12cmカノン4門が設置されていましたが(前日ブログ参照)、陳腐化により榴弾砲は移転。
変わって1919年より富津試験場として建造開始、四一糎榴弾砲やフランス製の二四糎列車加農砲の試験が行われたそうで、この監的所もその頃建てられたものかもしれません。
となると、建造からちょうど100年、つまり1世紀も経過しているわけです。

それを考慮すると、なかなかに頑丈な施設でしょう。



もう1つの遺構では、DQNがBBQ

最後に行った遺構では、DQNがBBQしていました。乗り入れ禁止の海岸に、ロープを解いて勝手に侵入、立入禁止の遺構内でBBQ中。車もお察しな感じでした。

富津試験場はこれにて終了。他にも遺構はあるようですが、埋もれていて確認できず。
それではもう1箇所の目的地に移動します。続く…