東京医科歯科大学霞ヶ浦分院付近の現状 ― 2018年11月17日 08時09分
戦時中までは、鹿島海軍航空隊司令部庁舎として使用され、戦後は東京医科歯科大学霞ヶ浦分院となり、1997年まで使用された、有名な廃墟。
2011年を最後に撮影に行っていませんでしたが、現状を確認しようと、7年ぶりに現地を訪れました。
廃墟を巡る現状は、Googleマップの航空写真やストリートビューなどで、昔とは違い簡単に現状(と言っても2,3年のラグはある場合もあるけど)は簡単に確認できる時代。
そして廃墟散策も下火となり、HPからSNSへ主力が移っています。
有名HPも、軒並み更新が止まったり、閉鎖されたり。そんな自分も、家庭に仕事に変化が大きく、ここ最近は撮影に行けていませんでしたが、無理しない範囲でボチボチ撮っていこうかなと思っています。
さて東京医科歯科大学霞ヶ浦分院ですが、初めて撮影した2005年辺りから、周辺状況は刻々と変化しています。
当初は、建物の前までの道路は、立入禁止とは言え厳重ではなく、地元の人も散歩していたくらいでした。
それが、2011年には道路の工事が始まっていて、現在では周辺には国立環境研究所 水環境保全再生研究ステーションができました。
霞ヶ浦の水質調査や研究をしているようで、現在霞ヶ浦分院を正面から見られるのは、ここの職員だけになっています。
元々、有名廃墟として、あるいは心霊スポットとして、侵入者が耐えなかったのか、2011年には厳重に封鎖されており、現在ではALSOKの看板がデカデカと掲げられております。
私自身、霞ヶ浦分院は外から見たことしかありません。
上の写真も遠くに霞ヶ浦分院が見えますが、2011年当時にはまだ存在しなかったソーラー発電所が、道路の対岸にできていました。
分院自体更に柵で覆われていますが、その周辺は定期的に草刈りがされているようです。
望遠レンズで。2階の窓にも板が貼られています。
テレビアンテナが折れて倒れていますね。
蔦が建物を覆いつつあります。これが一部紅葉していて美しい。
霞ヶ浦分院の隣りにある機罐場の建物は、かなり崩壊が進んでいました。
機罐場のボイラーの煙突が印象的。手前も奥も、外壁も屋根も外れている箇所が多くなっています。向こう10年で崩壊知てしまうかもしれませんね。
この道路の向こうはに、霞ヶ浦分院や機罐場があります。
右に見えるのが国立環境研究所 水環境保全再生研究ステーションです。職員の方が出入りしているのも確認できました。
反対側には霞ヶ浦。
近くには、かつて元鹿島海軍航空隊の施設として、水上機のカタパルトが設置され、水上から地上へ引き上げるための滑りも設置されていて、現在もその跡が残っています。
この周辺も、以前と比べて整備がされている感があります。
せっかくなので、2011年当時の写真も、再度掲載しようと思います。
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