【千葉遺構撮影ツアー】旧陸軍金谷砲台跡 砲台山ハイランド12019年08月17日 06時54分

富津試験場跡から移動して次に向かった場所はここでした。

砲台山ハイランド入口

立入禁止の看板が倒れて、もたれかかっている、旧陸軍金谷砲台跡地に建造された、「砲台山ハイランド」。
金谷砲台は、関東大震災のあった1923年(大正11年)に起工、翌年完成し、七年式十五糎加農砲が4門設置されました。
この砲は、ベースとなった四五式十五糎加農砲の設計自体がそもそも大正時代でしたから、第二次大戦時には旧式化は否めませんでしたが、1943年(昭和18年)に除籍、変わって更に旧式で口径の小さな三八式十糎加農砲4門が据え付けられたようです。

WikiPediaの写真を見ると、いかにも古そうな形状の加農砲で、第二次大戦期でもこれが有効に活用できるとは到底思えないです。
それでも砲の不足から、旧式な砲を引っ張り出さざるを得なかった、旧陸軍の苦悩が伺えます。

そんな金谷砲台跡は、戦後しばらくして、レジャーランドとして活用されることに。
1960年代に開業されたとする「砲台山ハイランド」には、BBQ施設や、弾薬庫をそのままトンネルにし、砲台跡には池を設置、金谷駅からはリフトで移動でき、ダミーの砲台を設置していたようですが、1970年代には閉園したようです。
つまり、廃墟歴は40年以上になります。

ところで、看板の管理者には、目隠しの白いテープが貼られていました。

道は枯れ葉で覆われている

この道は、戦時中は物資を運ぶために使われていたようですが、砲台山ハイランド時代は、リフトを使用しない(リフト代を払いたくない)人たちは、こちらを歩いてハイランドへ移動していたようです。

木が倒壊

ちょうどこの日は、突如大雨が降るなどして、撮影時も時折小雨が降ったり、かと思ったら晴れたりと、不安定な天候。
足元も枯れ葉の下はぬかるんでいました。
木が倒壊していましたが、これももう何十年も前からこうだったのでしょうね。
斜面を覆うコンクリートは、1923年の施工開始当時のものと思われます。よく見ると、下の方は溝が掘られているのですが、何のためだろう?

トイレと思しき建物

第一建物発見! トイレと思われます。
コンクリートブロックを積み上げただけの簡素なもので、屋根はすでになくなっています。

和式便器

廃墟のトイレって何故か撮影したくなってしまうものなのです。
和式しかないのも時代ですね。

屋根のないトイレ

屋根は木の柱を残してなくなっていました。
そこに枯れ葉が入り、やがて覆い尽くされてしまうのではないかという勢い。

鳥かご跡?

鳥かご型の休憩所なのか、観察小屋なのか。ここも屋根がところどころ抜け落ちていて、もう10年もすれば倒壊しそうです。
森が飲み込んでしまうでしょう。

砲台山ハイランドの山頂

砲台山ハイランドの山頂。夏の盛りだけあって、樹の葉が多く、情景が分かりづらい。やはり夏は廃墟散策には不向きです。
盛り上がっている丘の部分に、かつて砲台があったそうです。

元弾薬庫の入り口

盛り上がっている丘の下にはトンネルが。
ここはかつて弾薬庫のあった場所で、砲台山ハイランド時代はトンネルとして使われていたのかと推測。
遠目に見たとき、まるで光が指しているかのように見えましたが、近づいてみると、何のことはない、オレンジ色の扉が外れてもたれかかっているだけでした。
かつては開放されていたトンネルですが、2010年にボヤ騒ぎがあってから、封鎖されたそうです。
それから9年、封鎖していた扉も、湿度が高い場所だからか、割と早く倒壊したようです。
とにかくこの日は気温もそうですが、雨が降ったばかりだったので湿度もかなり高かったです。

扉の向こう

写真ではそれなりに明るくRAW現像しましたが、実際にはトンネル内はベンチも見えないくらい暗く、奥に光が指しているのがかろうじて見えただけです。
RAW現像で、これだけ情報が残っているのですから、今どきのカメラのセンサ性能はすごいですね。

トンネルの中をフラッシュ撮影

肉眼ではあまりに暗いので、フラッシュ撮影してみました。
感度もISO25600まで上げてみましたが、中は座面のなくなったベンチ以外、これといったものはないようです。
壁面が黒く塗られているのは、陸軍時代からだったのか、ハイランド時代に塗られたものなのか?

奥の光が指しているところは、トタンのようなものが倒れていて、封をしていたものが経年で外れたのでしょう。
この時は懐中電灯などもないので、あえて中には入りませんでした。
特になにもないですし、有毒なガスが充満していないとも限りませんし。

下にも小屋らしきものが

下を見ると、小屋らしきものが点在しているようですが、あえて近づいてみるまでもない感じなので、眺めるだけ。

続く…