入間基地航空祭(その7) ― 2018年11月12日 06時20分
長々続けてきた入間基地航空祭の写真も今回で最後。帰投編です。
やはりレンズの調子がおかしく、F-2Aはピントが合わず撮影できず、イーグルもせっかくいい絵なのに、フレーミング失敗気味のものしかピントが合っていない…。
●F-15J(12-8803)
初めて見たF-15Jでも極初期生産の機体、1981年製造の803号機です。
Pre-MSIP機でも初期のアメリカ製だったかと思います。F-4EJファントムの後期型と生産時期がかぶっているんですよね。
ファントムがすべて退役した後は、この世代の機体もF-35Aの追加導入に合わせて、少しづつ退役が始まるのかな?
●C-2(88-1207)
みんな窓からこっちを見てる! 自衛隊のインスタにも、C-2の中から撮影した写真が上がっていましたね。
C-1のコンパクトでスマートな外観と比べると、新しい中型輸送機のC-2はやっぱりずんぐり(笑
大きいというよりずんぐりというイメージで、これはより大型の米軍のC-17AやC-5Bあたりより太さが強調される感じです。
●E-2C(34-3459)
2枚目の写真が、ちょうど夕日の加減なのか、コントラストが強く、如何にも帰投という感じに印象的に撮れました。
●SH-60K(8445)
自衛艦旗をアピール!
●C-130H(75-1075)
エンジン始動! 時間の関係で、これが上る前に自分も帰投。
今回はブルーの演目が終わらぬうちに、外来機は帰投準備を初めて、慌ただしい感じでした。
帰投狙いのマニアがなかなか帰らないので、さっさと帰って基地を閉めたいのでしょうね。隊員も準備で徹夜ですからね。
大井町の路地裏 ― 2018年11月13日 06時49分
大井町の古ビル1 ― 2018年11月14日 06時40分
先日仕事でいった大井町ですが、なかなか香ばしいビルを発見して、久々に廃墟魂に火がつきまして(笑
ただ、タイトルを古ビルとして廃墟としなかったのは、一部現役と思われる箇所があったからです。
大井町の駅前なので、地価は結構すると思うのですが、それでもこうした一等地にも、このように古びたビルはあるのです。
名前はN第一ビル、Googleさんで今はビルの名前もあっさりわかります。
古びたコンクリートに窓、ひさしと思われる枠や避難はしごなど、なかなか良い雰囲気です。
窓が少し空いているのが、外れかかっているのか、ああいう開き方なのか。
明らかにやっていないと思われるお店の名前はぼかしませんでした。
ただ、銀寿司で調べると、すぐ近くに同じ名前の現役のお店があるので、もしかしたら以前はこのビルで営業していたのかもしれませんね。
必ず確認する電気メーター。
右はもう古いものでしたが、中央と左はデジタル表示の新しいもので、有効期限も2~7年先でした。
つまり、この建物はまだ現役と言えます。
全国にフランチャイズ展開しているラーメンどさん子ですが、郊外にあって潰れている店が多いというイメージしかありませんが、都内にもあったのですね。まあここは潰れているようですが…。
お店のドアも、どう見てもスナックの入り口にしか見えません。
そして、そのお隣にはダンス教室の入り口。ここは現役のようです。入り口の向こうには電気が点いていました。
調べると、このダンス教室はHPはないようですが、口コミサイトに4年前の投稿は確認できました。
続く…。
大井町の古ビル2 ― 2018年11月15日 06時38分
続き。
ダンス教室の入り口の隣には、これまた現役ではないと思われる「PUB France」が。現役時代はフランス人の社交場だったのか? ッテイメージはあまり湧きそうにないです。
電線は切られていてごちゃごちゃ。
それにしても、ダンス教室の看板がやたら多いです。
割と流行っているのか?
デジタル表示のメーターがあったビルの反対側にも、同じように電気メーターがありましたが、こちらはどれも有効期限が平成27年となっていて、通電していない模様。
ダンス教室の入り口は電気が点いているので現役なのは、前回お伝えしたとおり。
バリケードされていて、関係者以外立ち入り禁止、なんて看板が仰々しく立っているのも、この手の古いビルは、中に入れる状態ではヤンキーや浮浪者の巣窟になる可能性があるため、こうしているのでしょうね。
4階にあるということは、エレベーターもなさそうだし、階段で上がるのでしょうね。割としんどい。
暗くなってきて、改めてビル全景。
周りのビルが、古くても改装されてきれいになっている中、このビルだけが取り残されれています。
オーナーも老人なのだろうか? もう改修する気もなく、かと言って取り壊して建て直す感じもなさそうです。
テナントもダンス教室だけでは、固定資産税とか大変そうです。
帰りに駅側からビルを望んでみました。上には大きなダンス教室の看板が。ダンス教室の看板、たくさんあって、実質このダンス教室のためにビルが存在し続けている感じ。そしてマンションの広告看板が付けられているので、これも一定の収入にはなっているのでしょう。
鉄板で塞がれた窓、後付されたエアコンの長く伸びた配管など、古いビルらしくてゾクゾクきちゃいます。
ビルのお隣は駐車場ですが、ここもかつてはビルがあったのかも。もしかしたら、同じオーナーの土地なのかな?
といろいろ想像を膨らませつつ、大井町を後にしました。
幻想的な月 ― 2018年11月16日 06時47分
東京医科歯科大学霞ヶ浦分院付近の現状 ― 2018年11月17日 08時09分
戦時中までは、鹿島海軍航空隊司令部庁舎として使用され、戦後は東京医科歯科大学霞ヶ浦分院となり、1997年まで使用された、有名な廃墟。
2011年を最後に撮影に行っていませんでしたが、現状を確認しようと、7年ぶりに現地を訪れました。
廃墟を巡る現状は、Googleマップの航空写真やストリートビューなどで、昔とは違い簡単に現状(と言っても2,3年のラグはある場合もあるけど)は簡単に確認できる時代。
そして廃墟散策も下火となり、HPからSNSへ主力が移っています。
有名HPも、軒並み更新が止まったり、閉鎖されたり。そんな自分も、家庭に仕事に変化が大きく、ここ最近は撮影に行けていませんでしたが、無理しない範囲でボチボチ撮っていこうかなと思っています。
さて東京医科歯科大学霞ヶ浦分院ですが、初めて撮影した2005年辺りから、周辺状況は刻々と変化しています。
当初は、建物の前までの道路は、立入禁止とは言え厳重ではなく、地元の人も散歩していたくらいでした。
それが、2011年には道路の工事が始まっていて、現在では周辺には国立環境研究所 水環境保全再生研究ステーションができました。
霞ヶ浦の水質調査や研究をしているようで、現在霞ヶ浦分院を正面から見られるのは、ここの職員だけになっています。
元々、有名廃墟として、あるいは心霊スポットとして、侵入者が耐えなかったのか、2011年には厳重に封鎖されており、現在ではALSOKの看板がデカデカと掲げられております。
私自身、霞ヶ浦分院は外から見たことしかありません。
上の写真も遠くに霞ヶ浦分院が見えますが、2011年当時にはまだ存在しなかったソーラー発電所が、道路の対岸にできていました。
分院自体更に柵で覆われていますが、その周辺は定期的に草刈りがされているようです。
望遠レンズで。2階の窓にも板が貼られています。
テレビアンテナが折れて倒れていますね。
蔦が建物を覆いつつあります。これが一部紅葉していて美しい。
霞ヶ浦分院の隣りにある機罐場の建物は、かなり崩壊が進んでいました。
機罐場のボイラーの煙突が印象的。手前も奥も、外壁も屋根も外れている箇所が多くなっています。向こう10年で崩壊知てしまうかもしれませんね。
この道路の向こうはに、霞ヶ浦分院や機罐場があります。
右に見えるのが国立環境研究所 水環境保全再生研究ステーションです。職員の方が出入りしているのも確認できました。
反対側には霞ヶ浦。
近くには、かつて元鹿島海軍航空隊の施設として、水上機のカタパルトが設置され、水上から地上へ引き上げるための滑りも設置されていて、現在もその跡が残っています。
この周辺も、以前と比べて整備がされている感があります。
せっかくなので、2011年当時の写真も、再度掲載しようと思います。
霞ヶ浦分院横の機罐場跡 2011年1月 ― 2018年11月18日 07時16分
2011年1月に撮影した、東京医科歯科大学霞ヶ浦分院横にある機罐場跡。
当時、AF-S 70-200mm f/2.8G ED VRIIを買ったその足で訪れました。
あれから7年、周辺の状況は大きく変わったのは、前日のブログの通り。
今では厳重に管理されていますし、建物の崩壊も進んでいます。写真で残すというのは、その当時を知る上で重要ですね。
当時は忙しかったのか、撮影舌写真はごく一部をブログで紹介したのみで、HPにも未掲載でした。
せっかくなので、7年越しでRAW現像し直したものを掲載していくとします。
当時よりRAW現像ソフトも進化しているかな?
この木製の古びた電柱は、今はもうありません。
前日のブログでは崩壊が進んでいる…と書きましたが、2011年の時点で、既に壁や屋根は一部喪失していますね。
印象的な煙突。窓ガラスが古い建物らしさを醸し出しています。
ちなみにYamaroが子供の頃通っていた小学校も、戦前の建造で、こんな感じの窓がついていました。
ガラスも風化します。ほとんどのガラスが割れていました。
外壁のトタンも錆びついています。
入りました。内側から見ると、ほぼ外が素通しで丸見えです。
ここがいつ頃まで現役で使用されたかは不明ですが、このテレビは70年代から80年代のものと思われます。
手前のテレビは、韓国のGoldstar、現在ではLGとなっていて、その前身です。
この時代、まさかLGが世界を席巻するとは思ってもいなかったわけで、日本の家電にとっては、時代の変化は残酷です。
このテレビが、現役時代のものなのか、後に不法投棄されたかはわかりません。
機罐場だけに、ボイラーがあって、その蒸気が何らかの作業に使われていたとは思いますが、ここに打ち捨てられたものがが何なのか、今となってはわかりません。
これは比較的新しい、SANWAのデジタルマルチメーターPocket MINI。これは80年代から90年代の製品ですね。
実はこれのソーラータイプは私も持っていて、それも90年代に親父からもらったものが未だ現役。
ちなみにこの商品、若干のデザイン変更で現在も販売されているロングセラー商品です。
機罐場のボイラー。圧巻です。このサビ具合といい、取り囲むレンガといい、確かに戦前に作られたであろう施設であることがわかります。
これはぜひ遺産として残すべきものでしょう。
2011年でこの状況です。風雨に晒されているだけに、現在の内部状況が知りたいところですが、叶わないですね。
しかし、この年の3月に発生した東日本大震災にも、建物自体は耐えたことになりますので、古くてもしっかりした建物は、昔から耐震性能はそれなりにあったのでしょうね。
ぽっかり空いた屋根から煙突が見えました。
この当時は、D300にTokina AT-X 124PRO DXで撮るのが定番でした。解像度もよく、なかなか色乗りの良い良いレンズでしたが、今は後輩に売却。また持っているかな?
もう1つの建物は更に崩壊が進んでいました。こちらは時間切れで散策せず。
日が沈んでいきます。この古い電柱は、今はもうないようです。
霞ヶ浦分院の目の前を通るこの道路は、この当時建造中でした。
完成後の道路は、前日のブログの一番上の写真のとおりです。
2011年の写真如何だったでしょうか?
10年以上前のD300、なかなか良い仕事をしてくれました。RAWなら最新ソフトで当時以上の画質で出力できます。
CBS関東支部会 ― 2018年11月20日 05時51分
公園にて ― 2018年11月21日 06時15分
GX7MK2のクリエイティブコントロール、TOYで撮影。
周辺減光が大きくなり、ややコントラストとサイドがアップされます。
以前使っていたOLYMPUSのPEN E-P5もフィルタモードはあったのですが、あちらはいかにも加工しました的なフィルタが多く、あまり使えない印象でしたが、GX7MK2の場合、不自然にならない程度に加工できるフィルタが多く、また加工具合が大きい一部のフィルタモードを除き、処理速度が速くて、フィルタありとなしの2つのがぞうを同時記録できるのも良いですね。
絞り開放で撮影、逆光だったので、そのままだと背景が飛び気味で被写体が暗くなる感じだったので、クリエイティブコントロールの出番です。
不自然にならないギリギリの線で撮れたかな。
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