朝霞の元米軍基地「キャンプ・ドレイク」を歩く(1) ― 2016年06月06日 23時57分
ふと出来た時間、どう使おうかと考えた時、そう遠くない場所で一度は見ておこうと思った、埼玉県は朝霞市にある元米軍基地「キャンプ・ドレイク」がふと頭に浮かびました。
柵の外から見るだけですし、大したものは残っていないことは知っていますが、せっかくなのでね。
この手の撮影では、やはりNikon D810は目立ってしまうので、小型のPEN E-P5に17mmだけで撮影することに。
これがちょっとしたスナップであれば、全然問題ないクオリティが得られますしね。
何より、JPG撮って出しが使い物になるので、あれこれRAW現像しなくていいのが楽です。
朝霞の森駐車場へ。無料ですし、すぐ停められました。東京からちょっと埼玉に入るだけで、いきなり地方都市感覚になるのが不思議です。
東京じゃこの手の公園の駐車場は、土日は激混みですから。
森と書いていますが、この公園自体はそんなに気があるわけではないです。
肝心の「キャンプ・ドレイク」はこの公園のすぐ隣です。
では周辺を歩いて行きましょう。
こんな感じで柵で覆われていますが、何故か柵越え防止の有刺鉄線がついていません。
怪我をするといけないから?だとしたら本末転倒ですが…。
よく見ると、電柱やら標識やらが内部には残っています。
以降、柵経由の撮影です。
色あせて蔦に覆われて、識別困難な標識。
柵の向こうに、ところどころ地面がアスファルトで覆われた場所があります。
ちなみに米軍基地の前は、陸軍被服本廠といって、日本の陸軍の被覆工場がありました。戦後に米軍に接収され、80年台まで使用されてきました。つまり、ここが使われなくたって30年経過しているのです。
若干柵が見きれてしまった。止まれの標識っぽい三角の標識が確認できるが、錆で覆われてしまっている。奥に見える電柱もすっかり蔦が絡まっている。電線は撤去されていないようです。
所々に、こうやって道路が見えます。が、現時点ではめぼしい建物は見つかりません。
廃墟系サイトをいろいろ見たところ、10年位前までは、そこそこ建物が残っていたようですが、その後取り壊されたようです。
2007年には、この場所を公務員宿舎にするという話も出ていましたが、周辺住民やマスコミからの反対もあってか、未だに着手されていません。
個人的には、公務員宿舎でもできれば、そこに人が住むわけで、周辺も活性化されると思うのですが、家賃が低いため、やっかみなどがあるようです。私は公務員ではなくただの会社員ですが、父も公務員でしたし、官舎は必要と思っています。
このアングルから見ると、これは止まれの標識なんでしょうね。
やっと建物を発見しましたが、これは唯の雨除け程度の構造物ですね。給油所っぽい感じです。
竹林があるのが日本っぽいです。
余談ですが、私の地元の北海道には竹が生息していないので、本州に引っ越して初めて竹林を見た時は新鮮でした。
ちょっと歩くと、中学校の敷地に。角地に中学校があり、この奥は一般人は入ることができません。
なので、ここはぐるりと遠回りします。
中学校の敷地の先は、また柵が続いていますが、やはり道路だけで目ぼしい物は見当たりませんね。
Googleマップでも確認しましたが、すでに建物は取り壊されており、目ぼしい物が見当たらないのは当然といえば当然。
遠方からはるばる見に来る価値はないので、当ブログの写真でお楽しみください(笑)
ここで、柵越しにはセンターライン付きの道路が現れました。
止まれの標識は、下にSTOPと併記されていて、米軍施設だったことを伺わせます。
この道路、センターラインもあり、カーブとも書かれていて、かつては柵のこちら側まで道路があったのでしょうね。
米軍施設だったとはいえ、よく見ると日本式の左側通行です。
文字は消えかかっていますが、国有地であり財務省が管理していることは分かります。
きちんと管理されていますし、侵入したところで目ぼしい物はなにもないので、くれぐれも内部に侵入はしないように!
後半に続きます。後半も地味です(笑)
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